もう十年の余も前の話になるが、息子は中学進学をひかえた春休み、理髪店に行ってとつぜん丸刈り(坊主頭)にしてきた。
だれに言われたわけでもなく、小学校を卒業したそのときに、自分の意志で、坊っちゃん刈りも卒業したのである。
愛用の赤い野球帽をしっかりかぶって、はずかしそうに帰ってきた息子は、帽子をとらずに、まだ仕舞っていなかったコタツにもぐりこんだ。半分ふざけたい気持ちもあったのであろう。
しかし、いつまでそうしていられるわけもない。帽子をとってコタツからでてきた、まだ声変わり前の少年は、本人の意図とはおそらく裏腹に、ツルンとかわいらしく、マルコメ味噌のテレビCMにでてくるクリクリ坊主の幼児を連想させた。
その3年後、こんどは娘が中学にすすむ春休み、美容院に行って、長めの髪をとつぜんショートカットにした。
その日わたしは娘と買い物の約束でもしていたのであろう。その美容院に娘を迎えに行った。外から大きな窓越しに待合室が見え、一人の少年がこちらに背を向けすわっている。
中に入って、娘はどこかなと探すと、なんとその‘少年’がわが娘であった。
詩人吉野弘に「父」という詩がある。
………
子供が 彼の生を引受けようと
決意するときも なお
父は やさしく避けられているだろう。
………
一年ほど前この詩を知ったわたしは、読んで、わが子らのこの中学進学前の春休みの行動を思い出した。
4月からは新しい環境が始まる。新たな出会いもある。その時期に二人は 自分を変えようとしたのであろう。一歩成長した自分でありたい、と思ったのにちがいない。
二人はその後も元気に自分の道を歩んでいる。その道は決して平坦ではないはずだ。でも懸命に前を見つめ歩んでいる。
その姿を見て、今わたしは逆に教えられている。人は年齢とは関係なく、現状に安んじているだけではだめなのだと。
覚悟を定め、また新たな一歩をふみだそう。
人生の本舞台はつねに将来にあり (尾崎行雄)
2002.12.1
(2006.12.2 写真追加)