「一片食」と書く。ひとかたき、ともいう。
一回分の食事という意味である。
わたしが小さい頃、この言葉を母がよく使っていた。「これでひとかたきになる」と。
収入も多くなく、食べるものにも時に事欠く状況では、例えば少しばかりの冷えた蒸かしイモでも、分けあって立派なひとかたけになった。
わたしの家がというより、昔はどこの家でも多かれ少なかれそういう状況だったと思う。
わたしが中学生だった昭和30年代の前半には、貧しくて学校に弁当を持ってこれない級友もいた。
「ひとかたけ」という言葉には、一食一食を工面せねばならない気苦労と一回一回の食事の得難さ、ありがたさが含まれていたように思う。
向田邦子のエッセイのどれかにもこの言葉が出てきたが、飽食の時代といわれてひさしい現代、いずれ死語になってしまうのだろうか。
2005.05.21
一回分の食事という意味である。
わたしが小さい頃、この言葉を母がよく使っていた。「これでひとかたきになる」と。
収入も多くなく、食べるものにも時に事欠く状況では、例えば少しばかりの冷えた蒸かしイモでも、分けあって立派なひとかたけになった。
わたしの家がというより、昔はどこの家でも多かれ少なかれそういう状況だったと思う。
わたしが中学生だった昭和30年代の前半には、貧しくて学校に弁当を持ってこれない級友もいた。
「ひとかたけ」という言葉には、一食一食を工面せねばならない気苦労と一回一回の食事の得難さ、ありがたさが含まれていたように思う。
向田邦子のエッセイのどれかにもこの言葉が出てきたが、飽食の時代といわれてひさしい現代、いずれ死語になってしまうのだろうか。
2005.05.21