まるっきり理解不能のようでも意外とわかったりするようでもある。ウディ・アレンのニューヨークものでマンハッタンとブルックリンの違いがわからないようでなんとなくわかった気がしたりするし。
余談だが、旧ソ連の映画でウラルがいかにも田舎という感じでディスられているセリフがあって、ソ連にもあるのかと呆れたことがある。
地域差別というのはヘタしたらシャレにならないモチーフなのだけれど、もともと根拠らしい根拠のない(少なくとも傍からはそう見える)埼玉ディスをなんとなく繰り返しているうちになんとなく定着しているみたいで、これが埼玉だから成立するには違いないのだけれど、なぜなのかというとこれまたわかったようでわからない。中心が空白だからかえって定着する、という日本得意の構造のひとつとも思える。
魔夜峰央の絵柄を実写で再現するという試みが非常に凝っていてマンガ以上にマンガ的。
対立していた千葉と埼玉が一転して協力するというストーリー上の重要なポイントを時系列に従わず、いわゆる後説(アトセツ)というのかどういうわけか両者が協力関係になったのを見せたあとからフラッシュバックで説明するのがよくわからない。
単純に盛り上がりに欠けるし、どちらにしてもウソ臭いのをしれっとやり過ごしていることに変わりはない。
ただ、日本映画で画的にこういう本格的な群衆シーンが見られるのは珍しい。
それを言い出すと、全体が枠物語になっているのもよく意味がわからない。原作は連載途中で曖昧に終わってしまったので話の分量が足りないのだが、埼玉人に気を使ってフォローするのに尺を使っているみたいな感じがなきにしもあらず。
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