ドラッグはドラマを推進するエンジンである人間の意思や欲望を独占してしまって他に振り向けなくしてしまうので、本質的にドラマの組み立てに向かないところがある。
ここではストーリー的な描き方をしないで、かなり自在に親が子供に自然にかける期待や夢といった姿をフラッシュバックで見せ、親の期待と、それを裏切ったという子供の側の過剰ともいえる罪障感という点を自然に出し、むしろそこで共感を呼ぶ。
ドラッグと無縁な人間はいくらもいるが、親の期待に応えきれなかったという気分を抱えている人間はいくらもいるだろう。
周囲の人間にとっては徒労感との消耗戦の様相を呈して、共倒れになるのでどこかで突き放さないといけない。しかし突き放しても見放すわけではない、その微妙なニュアンスが、息子を突き放す電話のあとの父親役スティーブ・カレルの表情で表現できている。
これだけ親身になる父親というのも珍しく、母親が引いた感じなのはなぜなのかしばらくわからなかったが、父親の再婚相手で継母だったからなのが実母の登場でわかる、その語り口。
依存症の治療施設というのが責任の範囲をがっちり決めてしまい、そこから出たら絶対に責任を負おうとはしないのがわかる。それもムリもないのだが。
ブラッド・ピットがプロデューサーの一人なのをエンドタイトルで知る。すでに証明済みとはいえ、こういうハードなモチーフを映画化実現するとは、プロデューサーとしての見識と実績は大したもの。
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