車椅子に乗った一兵卒の証言から始まり、その車椅子に乗るに至る原因になった襲撃をクライマックスに置いた構成をとって、権力者の誤った判断がいかに兵士とその家族を傷つけたか端的に見せた。
ミラ・ジョヴォヴィッチ(当人がウクライナ出身)の役も旧共産圏の出らしく、国とか政府といったものが監視し盗聴するものだと自然に思っていて、考え過ぎだと夫にとしなめられるがおそらく、いや間違いなく妻の方が正しい。
ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった「一流誌」でも、というより一流誌だからこそ、知らず知らずのうちに政権=エスタブリッシュメントに接近した視点をとってしまったというアイロニー。
ブッシュJr政権で国務長官をつとめたコリン・パウエルは自著で必要な情報が30%以上集まらなかったら決断を下さないが、70%集まるまで持っていたら必要な時に遅れてしまう、と書いていたが、この映画で描かれるイラン戦争の理由とした大量破壊兵器に関する情報は80%まで集めてなお正確さを求め、しかしもともと渡された情報が誤ったものだったため、誤った決断を下してしまう。
そして国連の場でほとんど晒し者のように誤った決断を披歴する立場に立たされるわけで、政権の外で正しい見通しを得ていたのがナイト・リッダー社ワシントン支局の記者たちであるとするなら、裏の主人公のように政権内疑い続け孤立無援となり結局泥をかぶる。その姿をトミー・リー・ジョーンズが「兵士だ」と評するのが、おそらく車椅子の兵士と重なってくる。(パウエルはベトナムで実戦に参加し重傷を負っている)
エンドタイトルでウディ・ハレルソンが作詞作曲としてクレジットされているのがなんだか細かすぎておかしい。
「記者たち 衝撃と畏怖の真実」 - 公式ホームページ
「記者たち 衝撃と畏怖の真実」 - 映画.com