この作品は、自由律俳句で有名な種田山頭火の昭和5年12月から翌昭和6年2月までの日記である。まだ山口県小郡町(現山口市小郡)にある其中庵に落ち着く前で、西日本各地を旅する他、熊本市に一室を借りて「三八九居」と称していた時代である。熊本に住んでいるのは、この日記中にそういった記述があることでも確認できる。
三八九というのは、彼が編集・発行していた個人誌の名前であるそして、彼は熊本市で借りていた一室を「三八九居」と名付けていた。
この日記には、彼が少し金が入れば酒を飲んでいることがうかがえる。禅宗(曹洞宗)の坊主のくせに酒を飲んではいかんだろうと思うのだが。
彼は、お金のことをゲルトと言っている。これはドイツ語のGeldのことで、昔の旧制高校生はよく背伸びしてドイツ語を使っていた。山頭火も明治35年に早稲田大学に入学(明治37年に神経衰弱で退学)しているので、自分は知識人だというプライドがあったのだろう。
彼は1月16日の日記にこう書いている。
<……へんてこな一夜だつた、……酔うて彼女を訪ねた、……そして、とう/\花園、ぢやない、野菜畑の墻を踰えてしまつた、今まで踰えないですんだのに、しかし早晩、踰える墻、踰えずにはすまされない墻だつたが、……もう仕方がない、踰えた責任を持つより外はない……それにしても女はやつぱり弱かつた。……>
山頭火君、君は一体何をしているんだ。しかし、花園ではなく野菜畑か・・・。
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