・シャーリー・ジャクソン
このタイトルや表紙イラスト、そして本の紹介に「幻想長編小説」とあったことから、ゴシックロマン風の作品を想像していたのだが、読んでみると予想とは大分違っていた。
主人公は、ナタリーという17歳の少女。父の選んだ女子大に入学することになるのだが、この作品に描かれているのは、大学への入学前にナタリーの家で開催されたパーティの様子と彼女の大学での生活。分量としては、前者が5分の1強で、残りが後者となる。
どうも、ナタリーは妄想癖のある少女のようだ。最初の頃は、殺人の容疑者として刑事に取り調べられているようなやり取りがそこかしこに出てきている。もちろん、実際にはそんな場面はなく、すべて彼女の頭の中だけで起きていることだ。
これなどは、まだ妄想とすぐわかるが、この作品、何かを暗示して書かれているようなことが多いので、どこまでが現実で、どこまでがナタリーの妄想を描いているのかがはっきりしない。
例えば、彼女はパーティの日に、見知らぬ男と、どうもあれをやっちゃったらしいのだが。これも彼女のセリフから想像できるだけ。実際にあったことなのか、それとも妄想なのかは今一つ分からない。
また、本の紹介には、俗物だらけの大学の中で、他とは違うという「トニー」という風変わりな少女のことが出てくる。この「トニー」、なかなか出てこないなと思っていたら、初めて名前が出てくるのが、全体の3分の2当たり。そもそもこの「トニー」にしても実在していたのかどうか。どうもナタリーの妄想説もあるらしいから。
全体に暗喩に満ちた幻想的な文体なのだが、これは裏を返せば「よく分からん!」という一言に尽きる。「文理両道」を標榜はしているものの、私の基本姿勢は、「文より理」、「感覚より論理」である。正直なところ、このような感覚的な作品は、私にとっては一番苦手な部類かもしれない。
解説の深緑野分氏は、
<物語のあちこちに”留め具”が隠されているから、最後まで読んでから冒頭に戻り。”留め具”をひとつづつ外して蓋を開けてみるといい>(p.335)と薦めている。そうすると物語が二重構造になっており、最初はいびつだと思えたものが重要な意味を持っていることが分かるというのだ。私もやってみようとはしたのだが、即寝落ちしてくじけてしまったことを告白しておこう。
ただ、作者が描きたかったものの一つは、ナタリーが大人になるための通過儀礼(イニシエーション)だったのだろうということはなんとなく想像できた。なぜなら、この「イニシエーション」という言葉が作品中に出てくるからだ。ナタリーが入った寮の上級生たちが、夜中に新入生を集めて、イニシエーションと称して色々なことをやらせる場面があった。これなど、もしかすると”留め具”の一つなのだろうか。このことは、最後にこう締めくくられていることからも想像できるだろう。
<それまでのナタリーとは異なり、今や一人きりで、成熟し、力強く、少しも恐れてはいなかった。>(p.334)
☆☆
※初出は、書評専門ブログ
「風竜胆の書評」です。