曇り、17度、88%
昨日は、行く先々で肉体的な痛みについての話が持ち上がりました。この痛みの話が出る度に、私は両親を思います。痛みの表現が全く対照的な両親でした。
父は46年前、癌で逝きました。放射線治療、ストレプトマイシン、一日も入院もすることなく、通院治療でした。大柄な父は、ごっそりと体重を落とし、頬骨がたった顔になりました。癌ですので痛みも伴います。幸い親しい先生が、一日に2度モルヒネを打ちに来てくださいました。それでも、痛みはいつ襲って来るか分かりません。先生がみえる前に痛みが来ると、父は横たわったまま寝室の天井を見つめて、じっと息をひそめて痛みを耐えていました。それでも我慢ならなくなると、かすれた声で私の名を呼び、先生に早く来てもらうよう電話を頼みました。痛みをこらえているときの父の姿は、当時12歳だった私は何か見てはいけないもの、父の尊厳を傷つけるように感じていました。
対照的に母は若い時から痛みを口に出しました。そして、その傾向は年々強くなり、逝く前の数年、肩を傷めてからは目に余るものがありました。自分で服の脱ぎ着をしていて肩の上げる高さで痛みが走ると、大声を上げて痛いと言ってうずくまります。ヘルパーさん、施設に入ってからは介護職員の方達に服の着脱を手伝ってもらうときは、痛みが来ると、大声を発し、助けてくれる人の手を振り払い、睨みつけて「人の痛みは分からないでしょう。」と言います。もちろん私にも同じ事です。確かに、他人の痛みは分かりません。それでも言い方、別な表現の仕方があってもいいのではないかといつも思いました。ヘルパーさん、介護の方達にはほんとにお世話になりました。皆さん、よく我慢してくださっと感謝しています。
父の癌の痛みと母の肩の痛みを比較しているのではありません。どちらの痛みが大きいものかも、私には分かりません。この両極端な痛みに対する反応を見て育った私は、痛みを得た時には、布団に潜り込んで丸くなってじっと耐えます。痛みは分からないだろうと、睨みつけたり、手を払ったりする母の姿は汚く私の目には映りました。父が逝った年齢を10歳も超してしまった私です。今からどんな病に会うか分かりません。その時、目を閉じて父が痛みを我慢していた姿を思い描こうと思います。父も我慢していたのだから私にだって出来るはずです。
痛みは心の持ち方でも違って来ると聞きます。痛みは他人には分かりません。同じ病名だって、痛みは違うはずです。ただ、目に見えるのは痛みに反応する人の姿です。
私には、父というありがたいお手本がいてくれました。