晴れ、13度、74%
40代の頃は、仕事も目一杯でそれもそれなりに大変でしたが、精神的に随分きつい時期でもありました。母と主人の不仲、日本に帰した息子のこと。どんな家庭にも人に言えない様々な問題があります。私の血のつながった母と息子のことをあからさまに叱責されると、たとえ、主人が言っていることがもっともだと思うことでも、辛く感じます。主人の癖でしょうか、同じことを繰り返し、毎日言い続けます。そんなある日、片耳が聞こえなくなりました。精神的なバランスが崩れ始めていたのだと思います。どうにか、そんな状態を抜け切ろうと考えました。元々、芯の強い私です。主人がくどくど話を始めると、自分が一番楽しいと思うことを考え、思い浮かべるようにしました。さて、その一番楽しいこととは何かしら、とまた考えました。幾度考えても、思い至るのはなんとパン作りでした。
香港に来て以来、スタンドミキサーを使って捏ねますが、最後の5分間は手捏ねをします。その捏ねているときの、手触り、温もり、微かに生地から戻って来る弾力、そして、イーストの微かな匂い。 丸々と丸めてその表面の可愛さ。発酵させている間の、待ち遠しい気持ち。
いよいよ、焼成するときの美味しく焼けますようにと祈るような気持ち。オーブンに入れると5分ぐらいすると、いい香りが立ち始めます。もちろん深呼吸してその香りを胸に一杯吸い込みます。オーブンから出してきたときの、香ばしい色と香り。 ひっくり返して、お腹をポンと叩けば、どんな焼具合か分かります。パンの中のきめがどんなかな?と冷めるのを待って、切り分けます。 きれいな気泡が拡がっています。もちろん、お口にポイと放り込みます。
こうして全行程が全て好きです。主人の小言が始まると、このパン作りを頭の中で一から始めます。オーブンからパンが出てきたときを思っているときは、思わずニッと笑ったかもしれません。
話をきちんと聞いていないと叱られるでしょうが、あの頃はそれより自分の精神の箍が外れるのが怖いと思いました。自分が崩れるのを食い止めるための手段です。
今だから、こんなことが書けるようになりました。あのまっただ中の時には、人にも言えなかった。時間は優しく流れてくれます。時間の流れを待っていられない時には、どうにか自分をあやす方法を見つけなくてはなりません。私にとっては、パン作りを思い浮かべるだけで、自分の心を明るくすることが出来ました。
人によって一番楽しいことは違うと思います。仕事で辛い時、人間関係で行き詰まる時、家庭の中がぎくしゃくする時、何か一つ、心をなだめる楽しいことを見つけて思い浮かべてください。
パン作りを初めて30数年、失敗も沢山。おいしいパンも焼けるようになりました。その上、私の心の一番の拠り所になってくれています。自分一人のために焼き続けてきたパンです。ここ10年は、モモさんも喜んで食べてくれます。正月2日に初パン焼きをしました。いつものプレーンな丸いパンです。