曇り、18度、91%
お正月飾りに毎年出して来る独楽があります。直径が10センチ程の木の独楽です。金属の杙がはいっている、投げ独楽用の独楽です。色はきれいですが、無数の小さな傷がついています。昨年、父親になった息子が小学の低学年の頃、大事にしていた独楽です。
テレビゲームといわれる物が、世に登場したのは息子が幼稚園の頃、どこの家にもあるという物ではありませんが、すごい勢いで蔓延して行ったゲーム機です。男の子ですから、学校から帰るとランドセルなんか放り投げて、外に遊びに行って欲しいと思っていました。ですから、頑として、ゲーム機は買いませんでした。希望通り、ランドセルを玄関に放り投げ、自転車に乗って外遊びに行く息子の後ろ姿を見送りました。夏は、ザル蟹を釣りに、冬になるとこの独楽遊びが人気でした。もちろん、雨の日などはきっとゲーム機を持っているお家に上がり込んでいたに違いありません。
この独楽で息子が遊んでいた頃、主人は単身赴任で中東にいました。私たち家族が中東に行く準備をして、当時一緒にいたてつという犬も予防接種までしたのに、湾岸戦争が勃発しました。男の子なのに父親が不在です。父親の代わりなんて出来ませんが、休みになると釣り竿を持って釣りに連れ出したりと、気負っていた自分を思い出します。
投げ独楽は難しいと聞きます。はて、息子はどうやって投げ独楽を習得したのでしょうか?主人が、年にひと月の休みで戻ってきている時に教えてもらったのか、友人たちから自然に教わったのか、とにかく、独楽にのめり込んでいる時期でした。どこで独楽を買ったのかも、私は覚えていません。ただ、もう一つ独楽がありました。投げ独楽で戦うので、ある時まっぷたつに割れた独楽を持って帰ってきました。この投げ独楽の戦いのために、鉄の杙を研いでもらうと言って息子が出かけたことがありました。冬の夕日は早く落ちます。暗くなっても帰ってこないので、見当をつけて探しに行きました。家から随分離れた駄菓子屋の前に、息子のマウンテンバイクが見えました。店の中を覗くと、幾人かの友達も一緒です。お店のおじさんが、一人一人の独楽の杙を丁寧に研いでくれていました。時間がかかるはずです。この店の戸を開けたときの石油ストーブと子供たちの匂い、そしてなんともいえないおじさんとの和やかな空気を未だに思い出します。
その後、間もなく私たちは香港にやって来ました。学校に行くのもスクールバス、友達の家に行くのも香港中にまたがっていますから、送り迎え。自転車なんか乗っている人すらいない香港でした。息子は外遊びが出来なくなり、ついに我が家もケーム機を買いました。この独楽は、すっかり忘れ去られてしまいました。
今の日本で、投げ独楽で遊んでいる男の子の姿などもう見ることは出来ないのではと思います。女の子の父親になった息子、独楽回しを教えることもないでしょう。外遊びが出来た時代は、息子たち年代が小さい頃に終わったのかもしれません。