曇、19度、80%
寒い最中に日本にやって来たモモさん、日本での生活は3ヶ月にも足りませんでした。ひと月以上に及ぶ排泄困難、よく堪えてくれたと思います。馴染みのない土地でまるで私のために生きてくれていたように思います。このモモを私は支えなければと思いました。ところが結局は支えられていたのは私の方でした。そのことに気づいたのはモモさんが逝ってしまった後のことです。
時が経てば悲しみが薄らぐと言いわれます。その時が来るのを静かに待っています。悲しみが私の体を包んでいるようです。モモさんの小さい頃の写真と福岡に来て以来の写真を見ることはできるのですが、香港での10年以上の写真には目を通すことができません。主人が香港においでと言ってくれますが、とても無理です。モモさんと最後に過ごした香港は香港国際空港です。この国際空港を通らなければ香港には入れません。飛行機に乗せられるモモさんのコンテナを搭乗口で最後まで見送った記憶が蘇ります。
いつかはモモさんを香港に連れ帰るつもりです。モモさんのお骨は壺一つ、それと香港に連れて帰るために小さな箱一つに分骨しています。その中からほんの少し毎日小袋に入れて身に付けていました。落としてはいけない粗末になってはと気を使います。分骨したお骨をペンダントやお数珠に入れるものがあるのを知ったのは最近でした。早速お願いしました。
砂時計の形の2センチに満たないペンダントを選びました。裏にはモモさんの名前を彫っていただきました。
このペンダントをつけると心の中のざわつきが治ります。無くなるわけではないのですが心が静かになります。小さな砂時計はモモさんの13年の時です。そして私にとってはモモさんに支えられた13年です。長いようで短い、短いようで長かった13年です。そして今はココさんが私を支えてくれています。まるでモモさんの遺志を継いでくれているようです。モモさん、私の胸の上にいます。