曇、22度、81%
日本を離れる前に家族んで住んでいた町を時折訪ねます。40歳を過ぎた息子が幼稚園に入ったのも小学校に入学したのもこの町です。古い住宅街です。街並みは変わりませんが、私鉄の駅は地下に入りました。駅前のお店も知っているお店はほとんど姿を消しました。駅舎だけは変わらず保存されています。
駅前のロータリから伸びる放射線状のいくつかの道がある特徴ある眺めです。 この町が開発された時の決まり事で家の外回りは低い大谷石の石垣、その上は生垣と決まっていたそうです。整然とした美しさがありました。生垣の木は好きなものを使っていても生垣の間からはお家の様子が伺えます。洋館あり日本家屋ありの街並みでした。今では外塀は様々です。流石に高い塀を張り巡らしている家は奥まったところにしかありません。
道沿いのイチョウの木は深い木陰を作っています。 この道が我が家に通じる道でした。突き当たりは公園があり緩やかな下り坂、そこからきつい登り坂を上がったところに住んでいました。現在は中の家も見えないほどの高い塀で囲まれた家になっています。
来る度に荒れ果てた家の数も増えました。かと思うと最近の建築物も見られます。家を存続させて維持して行くことの難しさをこの町は見せてくれます。私たち一家は大きなお家の離れを借りて生活していました。おそらくこの町で一番小さな家だったのではないでしょうか。テツという名前の犬もいました。リキという名前の猫もいました。リキは2度も子猫を生みました。
雨上がりの肌寒い空気の中、この町の重さを感じます。今主人が住んでいる武蔵野の面影が残る町も古い町です。同じ東京なのに土から立ち上がる匂いが違います。 住んでいた家の裏から出るとこの町で一番高い場所に出ます。多摩川が見えその向こうは川崎です。小学校1年生になった息子を背をってこの坂を降りたことを思い出しました。春の月が出ていました。おたふく風邪にかかった息子をおじいさん先生がやっている医院へ連れて行くためでした。これが息子を背をった最後です。重たかった。
主人も私も訪れる度に何かを感じます。ただの懐かしさではありません。私たちの行先も見える年代になりました。20代の若かった頃住んでいた町がいつ来てもたくさんのことを教えてくれます。