曇り、23度、83% 大風
主人の東京の家のドアを開けると、4本のメタセコイヤの木が目に入ります。この景色が好きでたまりません。生きた化石と言われるメタセコイヤ、この木を好きだと思ったのは小学6年の時です。中学受験で訪れた武蔵野の街路樹でした。その高いこと、福岡育ちの私には頼もしく思えました。南方の大きな木とは放っている空気が違います。数年後、武蔵野の関東ローム層のことを学びます。私は勝手にこの土、この土地がメタセコイヤを大きく育てたのだと信じています。
初めて見た時は、下から見上げたメタセコイヤの木です。こんなに美しい姿だとは思ってもいませんでした。殊更、この4本のメタセコイヤは美しい姿をしています。先の尖具合、裾広がりの様、見惚れてしまいます。この木のすぐそばに立つと、その太い幹に鼻を寄せます。匂いはありません。抱きつきたいのを堪えます。「お歳はいくつ?」と聞いても答えてくれません。
細かい葉っぱがみっしりと枝に付いています。あとひと月、急に色が茶色に変わり落葉します。この整った姿を見るのはこの時期が最後です。来春、新芽が吹き始めるまで丸裸の木になります。 夜明け前、私が走りに出かけた頃の同じ景色です。建物の灯りがなければまるでコローの絵のようだと思います。毎日ドアを開ける度、4本のメタセコイヤが迎えてくれます。左に見えるマンションの高さからこの木がどれほど高い木かお分りいただけると思います。
私よりうんと歳取ったメタセコイヤの木、私が亡くなってもこの木は生きています。私のような思いをこの木にどれくらいの人が思ったことか、神聖な気持ちになります。