マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

確率の問題?

2016-09-14 | Weblog
先々月私は医者に処方された抗生剤を飲んで、
激しい副作用に苦しんで救急にかけ込みました。
点滴などの処置を受け、幸い一時のことで済みました。
今まで薬の副作用(薬によるアレルギーなど)の経験が無かったので驚きました。
ネットでその薬について調べてみると、
どの解説でも、この薬は、副作用もほとんどなく、
従来ピリン系などにアレルギーがある人も服用でき、
大変よく効く薬である、と書いてあります。
「ほとんど」の中に私は入れてもらえなかったみたいです。


子どもが小さかった時に、予防注射の際に、
「何万人に一人」くらいの確率で、まれに重大な後遺症(副作用)が残ることがあります。
と説明を受けました。
自分の子供がまさか「何万人に一人」になることはないだろう、
悩みながらもほとんどの親は接種を受けさせます。
私もそうでした。
そして事実、めったにそんなことはないものの、
どこかで、、何万人に一人の誰かがその注射の後遺症で苦しんでいるかもしれないのです、
そのことを今回は強く思ったのでした。


「宝くじ」では当りが何万人に一人でも、
もしかしてそれが自分かもしれないと期待して券を買います。
何事も人は自分に都合のいいように解釈するものだな、
と改めて思います。
(実際は、ジャンボ宝くじの当選確率は1000万分の一、
隕石に当って死ぬ確率7万5000分の一より更に更に桁違い。
当らないと確信しているので、私は宝くじは一度も買ったことがありませんが。)


ワクチン、交通事故、飛行機事故、地震、噴火、彗星・・・
などで確率が時々話題になります。
でも確率を捉えるのはやはりむつかしい。
100年に一度と言われれば、一生に一回あるかないか、
ということだと思うけど、
それが、明日かもしれないわけです。

数字というものは残酷だなと思います。
でも数字に感覚があるわけではありません。
数字を扱うのは人間です。
その数字をどう理解するのか、
そこが一番大切なのに、
それが抜けている、
統計や確率を報じる記事を見ていていつも感じることです。



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色っぽい草(薬用植物園、Ⅱ)

2016-09-14 | 自然
前から見たかった植物の一つ、
「青花」の花が咲いていました。

土手や我家の庭にも咲いているツユクサは小さくて雑草の中に埋もれてしまいますが、
この「青花・オオボウシバナ」は大きくて
2枚のひらりとした花弁に色っぽい風情があります。
それもそのはず「色」を採る花なのです。
この花から取り出した青色で友禅の下絵を書き、
最後に洗うと、さっと水に溶けて消えてしまうのです。
その「色つくり」の工程が非常に大変で、
しかし、それはそれは興味深いものです。
ぜひこちら「青花紙は今」をご覧ください。

(安藤広重、青花栽培)
そして「アイ・藍」
藍の青のほうは水で流しても落ちません。
世界中で様々な手法で染めに使われてきました。
でも、「アイ」がこんなに「イヌタデ」にそっくりだとは知りませんでした。
花が咲いていれば区別も付きますが、それでもそっくり。

藍の葉は発酵させることで、
麻や木綿などもしっかり染められるのだそうです。
発酵させない場合は、
予め豆乳などに布(絹や羊毛以外)を浸けておく必要があります。

庭のイヌタデ(あかまんま/左)と
本物のアイ(藍/右)
植物園には蓼酢にするヤナギタデもありましたが、
写真を取り損ねました…残念。

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