すごいおはようございます。
変な時間に寝てしまい、夜中に起きてしまいました。
今日はまたまた昭和の急行列車の写真をご紹介いたします。
昭和57年1月頃 南浦和~蕨間にて 「信州6号」?
このような急行列車、編成である程度の区別は出来ますが、ヘッドマークがないため特定が困難なものが多々あります。
今はスキャニングで拡大が出来ますので、列車番号からその種別を推測・判断することも出来るようになりましたが、この写真のように、まじめに列車番号を指していないものもあります。こうなるとお手上げ。
今回は推測になりますが、おおよその撮影時期は判明しており、この場所の光線状態からして14時前後くらいと見ました。ここに時刻表を当ててみると、確かに14時過ぎ、上り「信州6号」が通過いたします。
編成もご覧のとおり、サロ2両を含む169系編成ですので、ほぼ間違いないかと思います。
新幹線の開業により急行列車の廃止が危惧されましたので、このように撮影記録が残っていますが、それ以前は165系急行なんてゴロゴロ走っていましたので、まず撮る機会はなかったんですがね。故に、残った記録も大変少なく、年代的にはそれほど前ではありませんが、非常に写真の枚数が少ないです。
過去ログで急行「信州」についてご紹介した記事があります。
時間がありましたら覗いてください。
『国鉄型 サハシ169』
『EF628+12系 臨時「信州」』
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変な時間に寝てしまい、夜中に起きてしまいました。
今日はまたまた昭和の急行列車の写真をご紹介いたします。
昭和57年1月頃 南浦和~蕨間にて 「信州6号」?
このような急行列車、編成である程度の区別は出来ますが、ヘッドマークがないため特定が困難なものが多々あります。
今はスキャニングで拡大が出来ますので、列車番号からその種別を推測・判断することも出来るようになりましたが、この写真のように、まじめに列車番号を指していないものもあります。こうなるとお手上げ。
今回は推測になりますが、おおよその撮影時期は判明しており、この場所の光線状態からして14時前後くらいと見ました。ここに時刻表を当ててみると、確かに14時過ぎ、上り「信州6号」が通過いたします。
編成もご覧のとおり、サロ2両を含む169系編成ですので、ほぼ間違いないかと思います。
新幹線の開業により急行列車の廃止が危惧されましたので、このように撮影記録が残っていますが、それ以前は165系急行なんてゴロゴロ走っていましたので、まず撮る機会はなかったんですがね。故に、残った記録も大変少なく、年代的にはそれほど前ではありませんが、非常に写真の枚数が少ないです。
過去ログで急行「信州」についてご紹介した記事があります。
時間がありましたら覗いてください。
『国鉄型 サハシ169』
『EF628+12系 臨時「信州」』
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「大時刻表=昭和57年6月号=」によると、「信州6号」は大宮を13:56着で次の赤羽が14:10着となっており=昭和55.10.1改正の時刻のままです=、この列車の写真の地点の通過時間もつばささんの言う14時過ぎであり、編成もクモハ169が先頭である事から間違いないです。
それにしても、この写真を撮ってもう29年が経過してるとはホントに早いモノですね。
それでは、この辺にて私は失礼します。
165?169?と。
ある程度サイドが写っていると、クハ、クモハの判別がついたりと。
クハ481・300番台、1000番台、クハ183・1000番台、クハ189などは今でも区別が付きません(笑)
今日も3ぽつん。
サロ2両組込ですから長ナノ169系に間違いないですね。先日しなの鉄道で湘南色の169を見ましたがヘッドライトはシールドビームになっており、やはり
デカ目の方がカッコイイですね。画像を拡大させていただきました所、左のほうに写っている特急の幕は、「あさま」と読めるような気がします。写っている陸橋
は、今の外環あたりでしょうか。29年前の写真ですが、写っている車輌の仲間はまだ、現役で活躍しているのは、何となく嬉しいものですね。
では。
ちょうど国鉄への就職も決まっており、あとは後は期末試験だけといった状況の頃でしょうね。ある意味、人生の中でも一番輝いていた頃かもしれません。
さてこの写真編成からの推測では「信州」か「妙高」で悩むところですが、判別のしやすい光線状態だったので判明いたしましたが、曇っていたら・・・どうにも判らなかったと思います。
車両だけ個別に見るだけでしたら、シービーさんの言うところの形式は私も区別できません。
ここはやはり列車名が分っているか、編成はどうなっているかで容易に推測できるところですかね。
新前橋には165系の3連(7連のうちの3連部分)がありますが、共通運用で169系900番代がいました。この場合、低屋根になっているかどうかでの判別になりますね。
それから長野電鉄乗り入れの「志賀」でしたっけ。
新幹線開通前の上野に出入りする165系、169系はタイフォーンカバーとモハのベンチレーターで判別してました。
165系でも最終型は169系と同じでしたが、新前橋、新潟のやつは初期型や中期型がほとんどだったと思いますので。
乗ってみても、椅子の立ち客用の取っ手が大きく、背もたれのふとんが厚い感じでしたね。
急行列車らしいサロ2両組み込んだ編成いいですね。
連投ありがとうございます。
この線区の急行編成は特徴がありますので、これは見たまんま169系ズバリですね。
この辺りを走る急行としては、国鉄時代にシールドビームってあまり見た記憶がありません。勝田の451系では居たようですが。やはり、そもそものデザインがデカ目ですからね。そのスタイルに似合う塗装とトータルで、やはりコレが自然であり、当たり前なのだと思います。まあ、どんな形であれ、形式そのものが存続していることには敬意を表したいですね。
左脇に写っている列車は紛れも無く「あさま」です。この頃は12連が当たり前で、フツーに貫禄がありましたね。
自転車橋は、確か教習所の前にあったと記憶しています。外環の建設で無くなったんでしょうね。当時は濃いスカイブルーで、大変目立っていたと記憶しています。
「志賀」は下り先頭の3両付属が充てられていましたね。少し早めに廃止になってしまったかな?
なるほど、165系との間に時代差があるから、その辺りでも区別が付いたのですね。169系900番代ってどんなだったですかね。遠くからでは分りづらくて、気にしている余裕もありませんでした。
グリーン車需要の少ないと思われる急行列車ですが、意外と「あかぎ」「わたらせ」併結列車以外はみんなグリーン車が2両付いていたんですよね。気動車急行の2両の時代があったようですが、この頃はさすがに1両だけになっていたようです。
私が撮ってるやつだと6000番台の季節列車でも同じ編成になってるので、なおさら厄介ですよね。グリーンの後ろに付いてたサハシは既に外れてしまってたんですか。
やはり何かしら特定できるポイントが無いと厳しいですね。昔のカメラでは時間が分かりませんし。
新前橋には、臨時でクハ+サロ+サロ+モハ+クモハ+クハ+モハ+クモハという変わった編成もありました。臨時にしか使われなかったようですが、編成表に載らない列車もありますから、かなり厄介ですね。
サハシはいつ頃無くなったんでしょうね。昭和51年の段階では間違いなく連結されていたのですが、52年頃には外れるようになっていたかもしれません。殆ど写っている写真が無いですからね。