今日はお疲れモード。スゴク疲れました。
さて、スキャニングの途中ですがこれで終了!というネタがありましたのでご紹介したいとおもいます。
中央西線を代表する特急「しなの」です。
元々特急列車の走っていなかった中央西線木曽路で、「しなの」は急行列車として誕生しています。中央西線ならではの山岳路線でスピードアップが難しかったため、キハ82系の誕生により四国を除く全国に拡大した特急網も、中央西線は手付かずになっていました。
そこで、非電化・山岳路線におけるスピードアップの実現のため、強馬力エンジンを搭載した急行形気動車キハ90・91が試作誕生し、急行「しなの」に充当されるようになります。
この試作データで手応えを得た国鉄は、さらに改良を加えたキハ181系が産声を上げ、ここに特急「しなの」が誕生します。昭和43年のことでした。
そのわずか5年後の昭和48年、中央西線の全線電化時において、日本初となる振子式特急形電車381系が誕生し、曲線の通過速度を向上させ、電車化とともに大幅なスピードアップを図ることになりました。なお、暫くはキハ181系2往復が存置されていました。
私的には縁のなかった中央西線の特急ですが、若干数の写真がありましたのでアップいたします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/a4/1251687b89b34c855a3e3116d9d7235f.jpg)
昭和52年3月30日 名古屋駅にて 文字マーク時代の「しなの」
生涯初めて遭遇した381系「しなの」。53・10改正以前の姿ですので、文字マークとなっています。オートハーフでしたので案の定ブレブレです。
このときは、もーまんさんも一緒でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/3e/0e566bf0b6c2e6ed5230781ed459e507.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b3/0b0e243f47be001d4868f4da8bf2e19a.jpg)
昭和56年8月 東海道本線 山崎~神足(現長岡京)間にて
キハ181系時代より、1往復は大阪まで顔出していました。381系化後のキハ181系が存置されていた時代においても、何故か大阪「しなの」は気動車のまま残っていました。
初めて大阪に行ったとき、運がよければキハ181「しなの」が撮影できたはずですが、その時間に朝食を摂りに旅館に帰ってしまったらしく、結局1度も遭うことはありませんでした。
上の写真は先頭をリバーサル、後部をモノクロで撮影しています。リバーサルの方は感度が低かったせいか、ブレてしまっているのが残念です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/3c/7c272fc4a1d6bcf42c9d16243c0c8a8c.jpg)
昭和58年1月12日 長野駅にて 489系「白山」との競演
実は、飯田線の撮影の帰りに何故か信越経由で帰ってきたことがあり、そのとき1度だけ塩尻~長野間で「しなの」に乗ったことがあります。わずかな乗車区間でしたが、正直気持ち悪くなって、あと20分も乗っていたらリバースしたかもしれないです。
ほんのわずかな付き合いしかなかった特急「しなの」。キハ181系にも、その後増備された非貫通型100番代にも逢えず終い。何故かこの4枚の0番代だけが記録に残っています。
中央西線の国鉄色の381系も残すところ1編成。有終の美を飾ってもらいたいですね。
さて、スキャニングの途中ですがこれで終了!というネタがありましたのでご紹介したいとおもいます。
中央西線を代表する特急「しなの」です。
元々特急列車の走っていなかった中央西線木曽路で、「しなの」は急行列車として誕生しています。中央西線ならではの山岳路線でスピードアップが難しかったため、キハ82系の誕生により四国を除く全国に拡大した特急網も、中央西線は手付かずになっていました。
そこで、非電化・山岳路線におけるスピードアップの実現のため、強馬力エンジンを搭載した急行形気動車キハ90・91が試作誕生し、急行「しなの」に充当されるようになります。
この試作データで手応えを得た国鉄は、さらに改良を加えたキハ181系が産声を上げ、ここに特急「しなの」が誕生します。昭和43年のことでした。
そのわずか5年後の昭和48年、中央西線の全線電化時において、日本初となる振子式特急形電車381系が誕生し、曲線の通過速度を向上させ、電車化とともに大幅なスピードアップを図ることになりました。なお、暫くはキハ181系2往復が存置されていました。
私的には縁のなかった中央西線の特急ですが、若干数の写真がありましたのでアップいたします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/a4/1251687b89b34c855a3e3116d9d7235f.jpg)
昭和52年3月30日 名古屋駅にて 文字マーク時代の「しなの」
生涯初めて遭遇した381系「しなの」。53・10改正以前の姿ですので、文字マークとなっています。オートハーフでしたので案の定ブレブレです。
このときは、もーまんさんも一緒でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/3e/0e566bf0b6c2e6ed5230781ed459e507.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b3/0b0e243f47be001d4868f4da8bf2e19a.jpg)
昭和56年8月 東海道本線 山崎~神足(現長岡京)間にて
キハ181系時代より、1往復は大阪まで顔出していました。381系化後のキハ181系が存置されていた時代においても、何故か大阪「しなの」は気動車のまま残っていました。
初めて大阪に行ったとき、運がよければキハ181「しなの」が撮影できたはずですが、その時間に朝食を摂りに旅館に帰ってしまったらしく、結局1度も遭うことはありませんでした。
上の写真は先頭をリバーサル、後部をモノクロで撮影しています。リバーサルの方は感度が低かったせいか、ブレてしまっているのが残念です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/3c/7c272fc4a1d6bcf42c9d16243c0c8a8c.jpg)
昭和58年1月12日 長野駅にて 489系「白山」との競演
実は、飯田線の撮影の帰りに何故か信越経由で帰ってきたことがあり、そのとき1度だけ塩尻~長野間で「しなの」に乗ったことがあります。わずかな乗車区間でしたが、正直気持ち悪くなって、あと20分も乗っていたらリバースしたかもしれないです。
ほんのわずかな付き合いしかなかった特急「しなの」。キハ181系にも、その後増備された非貫通型100番代にも逢えず終い。何故かこの4枚の0番代だけが記録に残っています。
中央西線の国鉄色の381系も残すところ1編成。有終の美を飾ってもらいたいですね。
381は、やはり初期の振り子という事で、乗り物酔いをする方が多数いたとの事ですが、つばささんもそうだったのですね。
しなの、撮っていない車両の一つです。
本日のポチっと。
まあこんなことする物好きはあんまりいないでしょうから。
ぽちあり!
その後確か改良が加えられたと思ったのですが、今はどうですかね?「くろしお」「やくも」ではまだ使ってますが、オリジナル色じゃないし、なかなか撮りに行く気もしません。私・・・あまり乗りたくないなぁ。
中央本線は塩尻で別線感覚で、直通特急は昔からないですね。需要がないとも言えないのでしょうが、頼りになるビジネス客が甲府くらいだけじゃ1両編成で足りてしまいそうです。
甲府~名古屋だと、身延線で新幹線に出るか、東京経由で新幹線に乗るか、中央本線1本よりもその方が早いんでしょうかね?計画を立てる気にもなりませんが・・・。
なんだかんだ381系も古き良き時代の車両ですから、デザインは有りがちなものでしたね。
あの揺れ方は普通の感覚じゃないんですよね。何と表現したらいいか分からないのですが、カーブするときに沈み込みながら横にすべる感じの嫌~な揺れなんですよ。もう1度挑戦してみたい気持ちがなくもないんですがね。
キハ91系は「のりくら」で終わったんでしたっけ?何となく終盤の頃は「きそ」に運用されていたのを雑誌で見た記憶があるんですが・・・。
初めはチョット好きになれない顔だったんですが、今良く見ると趣きのある顔してますな。
蟻の買おうと思ったんですけど、お金がなくってやめました。
「くろしお」も海岸沿いは結構カーブが多い地形でしたね。やはり100番代でも同じだったのでしょうか?
485系4連の重連も見てみたかったですが、私が初めて行ったときにはもう居ませんでした(悲)。