こんばんわ。
今日は非常に蒸し暑い1日でした。夜になって時折強い雨が降りだしたりして。地震の被災地も二次災害が心配になってきます。
さて、少し間が開いてしまいましたが、181系「とき」の中から元161系改造のクハ18140番代を先頭車とする編成の写真が3枚ほど出てきましたのでご紹介したいと思います。
161系は、昭和37年に上越線特急「とき」用として、151系こだま型を踏襲して製作された特急用車両です。151系による試験走行の結果から151系とは足回りに違いがあり、ギア比は157系と同様に設定されたようです。1編成分9両と予備車6両の総勢わずか15両という小世帯の形式となりました。
151系との最大の違いは、スノープラウ取り付けに伴って短くなったスカート、上越国境越えの連続勾配に備えた勾配抑速ブレーキの装備、そして、それを識別するためのボンネットへの帯が入れられたことです。
その後、151系・161系の全ての車両を出力アップする計画により、181系へと改造されることになります。元161系の車両は40番代車として181系に編入、製作中に161系→181系と変更された3両についてもベースが161系であったことから、161系を名乗ること無く181系40番代として新製されました。
ちなみに、オリジナルの181系は全て100番代として誕生しています。
では、写真をどうぞ。
昭和52年頃 御徒町駅 電留線にて
粒子が良くなくて車番が曖昧です。台車のTR58とスカートのタイフォン形状で40番代の識別が可能です。
昭和53年頃 東北本線 西川口~蕨間にて クハ181-44
車番が確認できた車両です。44番は、前述のとおり181系化計画後に落成した車両であるため、161系スタイルのまま181系で誕生した希少な車両です。
ですので、外観は全く161系の先行落成車と同じスタイルになっています。
昭和56年5月 東北本線 西川口~蕨間にて
ヘッドマークがイラストとなり、1年半後には上越新幹線大宮暫定開業が迫った晩年のころの写真です。
正面がちで車番の確認は不能ですが、外観の特徴から明らかにクハ181-40番代であることが判ります。
後にはモロ181・180改造のモハ181・180200番代が続いており、中間の481系転用サロとあわせて最後を凌ぐ苦心の編成であることが分かりますね。
追加生産を合わせてもわずか18両という小世帯の形式でしたが、クハ181-45が鉄道博物館に収蔵され往時を偲ぶことができます。
上越形オリジナルとして誕生した唯一の特急車両であり、数的にも希少な車両が保存されていることは、何物にも代え難い幸運であると言えるでしょう。
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今日は非常に蒸し暑い1日でした。夜になって時折強い雨が降りだしたりして。地震の被災地も二次災害が心配になってきます。
さて、少し間が開いてしまいましたが、181系「とき」の中から元161系改造のクハ18140番代を先頭車とする編成の写真が3枚ほど出てきましたのでご紹介したいと思います。
161系は、昭和37年に上越線特急「とき」用として、151系こだま型を踏襲して製作された特急用車両です。151系による試験走行の結果から151系とは足回りに違いがあり、ギア比は157系と同様に設定されたようです。1編成分9両と予備車6両の総勢わずか15両という小世帯の形式となりました。
151系との最大の違いは、スノープラウ取り付けに伴って短くなったスカート、上越国境越えの連続勾配に備えた勾配抑速ブレーキの装備、そして、それを識別するためのボンネットへの帯が入れられたことです。
その後、151系・161系の全ての車両を出力アップする計画により、181系へと改造されることになります。元161系の車両は40番代車として181系に編入、製作中に161系→181系と変更された3両についてもベースが161系であったことから、161系を名乗ること無く181系40番代として新製されました。
ちなみに、オリジナルの181系は全て100番代として誕生しています。
では、写真をどうぞ。
昭和52年頃 御徒町駅 電留線にて
粒子が良くなくて車番が曖昧です。台車のTR58とスカートのタイフォン形状で40番代の識別が可能です。
昭和53年頃 東北本線 西川口~蕨間にて クハ181-44
車番が確認できた車両です。44番は、前述のとおり181系化計画後に落成した車両であるため、161系スタイルのまま181系で誕生した希少な車両です。
ですので、外観は全く161系の先行落成車と同じスタイルになっています。
昭和56年5月 東北本線 西川口~蕨間にて
ヘッドマークがイラストとなり、1年半後には上越新幹線大宮暫定開業が迫った晩年のころの写真です。
正面がちで車番の確認は不能ですが、外観の特徴から明らかにクハ181-40番代であることが判ります。
後にはモロ181・180改造のモハ181・180200番代が続いており、中間の481系転用サロとあわせて最後を凌ぐ苦心の編成であることが分かりますね。
追加生産を合わせてもわずか18両という小世帯の形式でしたが、クハ181-45が鉄道博物館に収蔵され往時を偲ぶことができます。
上越形オリジナルとして誕生した唯一の特急車両であり、数的にも希少な車両が保存されていることは、何物にも代え難い幸運であると言えるでしょう。
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確か161系当時はギア比の関係で最高110km/hだったのでは。屋上ライトが撤去され、屋根に予備笛だけというのもすっきりしてますが物足りない気も。しかしサイドラインやはり美しいですね。
先入観かも知れませんがスカートが短いと正面に眉毛や帯がないと何かヘンな感じになる気がするんですが。
一票投じて行きマース。
かなり馴染み深い列車でしたが、走行写真は撮ってませんでした、しょんぼり。
今日は週末恒例朝ポチね。
おはポチどうも。相変わらず早いですね。ご苦労様です。
かなり昔ですが、181系と481系の顔を突き合わせて連結した写真を見たことがあります。運転席の高さボンネットのラインは全く変わらない感じだったんで意外に思いました。何処が違うのかというと、485系の方が床が高いので、その分ライト下が詰まっているんですね。
もちろん、客室屋根の高さも違いますから、181系の方が直線的な美しさがあります。反対に485系の方が顔が窄まったスルドイ感じに見えるのですね。
>先入観かも知れませんがスカートが短いと正面に眉毛や帯がないと何かヘンな感じになる・・・
これに関しては私も同感です。クハ181もクハ481も。さらにスカートをクリーム色にしたりすると違和感が倍増します。
おはポチ毎度どうも。
161系は上越仕様で製造されましたが、配置は暫くの間田町電車区でした。
181系化と「あずさ」運用が共通で組まれた際、中央東線のトンネル断面が狭小なために屋上突起物が廃されました。181系が新潟と長野に分かれた後もこの概念が尾を引き、183系・189系の新製に至るまで「直流特急には運転台上にライトを設置しない」ことが鉄則になってしまいました。
外観は似ているので、ネガの片隅にでも映っているかもしれませんよ。発掘あるある大辞典!
元161はバックミラーは最初から装備されてたのですかね。タイフォン穴が丸型になってるやつが40番台と思って間違いないのですか。元151は外観から判断しやすいのですが、この辺りは良く判りませんですー。
161系の登場当初の装備は151系と同一だったようです。「あずさ」の使用あたりから段々簡素になってきたようです。
全ての車両をチャックしたわけではないのですが、元161系のタイフォンは、丸型一対でほぼ見分けが付くようです。ただ、http://diary.jp.aol.com/jzbrjvmab/img/1210772117.jpgだけは、さも元161系みたいな雰囲気を持っていますが、クハ181-109という181系最終増備車なので注意が必要ですね。
どうしても走行写真だと、車番の確認がなかなか出来ないですからね。
鉄道誌などで、特集があった時に自分の写真と見比べていたなんて事もしてました。
御徒町の電留線は、何かしら車両が止まっていて楽しめましたね。
ポチ!っと。
私が写真撮り出した頃は、もう帯無しはいなかったかも。居たとしても当時はあまり好きでは無かったです。
撮っている時はいちいち何番かまで見ちゃいませんが、慣れるとあとからでも大体の形状で生まれが判るようになりますね。
もっと拘るんだったら、中間車も撮っておけば良かったと。モハシ改造のモハとか。