昨日までの最新の情報から一気に遡ってみましょう。
今日ご紹介いたしますのは、EF60の基本番代です。
以前、当ログで元特急列車牽引機の500番代を特集したことがありましたが、0番代は生まれつきの純然たる貨物機です。
東海道本線のEF15の置換えや、山陽本線の電化延伸とともにその勢力を西へと伸ばしていったF形新性能機の始祖たる機関車です。
貨物機が本来の姿ゆえ、EF65の基本番代と同様に、東海道・山陽本線のみを根城とし、その活躍は地味でありました。特に、東京から北への運用が無かったので、東北本線沿線住民の私としては、無縁な貨物機でありました。
しかし、首都圏に残る旧型機であるEF10~EF13の老朽廃車に伴い、西から東へとその勢力分布が変化し、私の地元でも見られるポピュラーな機関車となりました。
とは言いましても、その活躍は終始地味なものであり、数年の後には59.2貨物の大合理化の憂き目に逢い、イベント用として今なお活躍を続ける19号機以外はあっさり廃車となってしまいました。
私的にも特に好きだったカマというわけではありませんが、元特急牽引機の500番代や、新性能車初期に見られた1つ目など、何となくそそられるものがあったことも事実です。
地味な機関車であっただけに、撮影した枚数も非常に少ないですが、現時点でスキャニングしてあるものだけを取り敢えずご紹介させていただきます。
昭和53年8月5日 東海道本線 真鶴~根府川間にて 白糸川橋梁を渡るEF6017牽引貨物列車
初期の1つ目車。新性能車初期のオリジナルなイメージをそのまま持っていました。
この頃は未だシールドビーム改造は一般的に行われていないため、殆どがオリジナルのデカ目でした。
昭和57年3月頃 東北本線 西川口~蕨間にて EF6028牽引貨物列車
この頃になるとシールドビーム改造車が増え始め、当機のみならず初期の新性能車のほぼ全般に伝染していきました。
したがって、オリジナルビームのカマに出会うことも稀になってきているため、興味のなかったEF60にもカメラを向ける機会が増えてきたように思います。
昭和58年5月16日 山陽本線 八本松~瀬野間にて EF60107
既に陽が翳り、写りが厳しくなってきた山間の線路。振り返るとEF60が目前にせまってきました。EF66を従えた雄姿は、「まだまだ高速だっていけるんだ!」という自信に満ちて見えました。
EF60自体もそうですが、雑多な貨車をランダムに連結して走る貨物列車は大変興味深く、力強さを表現するにも恰好の被写体でした。
しかし、そんな魅力を知ったのは、国鉄に入社して貨車の入換を担当するようになってからなので、入社後2年で貨物輸送はコンテナ列車中心の輸送体系となり、さらにその1年後には最後部を引き締めていた緩急車(車掌車)の連結も原則廃止となり、貨物列車のスタイルが大きく変化してしまいました。
そういう意味では、コンテナばかりの現在の貨物列車は魅力がかなり落ちてきたような気がします。が、国鉄型電機が最後の活躍を続けられるのが、貨物列車あってこそであるということも変わりありません。
EF60型はほぼ全滅となっていますが、旧国鉄型電機の行く末を見守りたいと思います。
今日ご紹介いたしますのは、EF60の基本番代です。
以前、当ログで元特急列車牽引機の500番代を特集したことがありましたが、0番代は生まれつきの純然たる貨物機です。
東海道本線のEF15の置換えや、山陽本線の電化延伸とともにその勢力を西へと伸ばしていったF形新性能機の始祖たる機関車です。
貨物機が本来の姿ゆえ、EF65の基本番代と同様に、東海道・山陽本線のみを根城とし、その活躍は地味でありました。特に、東京から北への運用が無かったので、東北本線沿線住民の私としては、無縁な貨物機でありました。
しかし、首都圏に残る旧型機であるEF10~EF13の老朽廃車に伴い、西から東へとその勢力分布が変化し、私の地元でも見られるポピュラーな機関車となりました。
とは言いましても、その活躍は終始地味なものであり、数年の後には59.2貨物の大合理化の憂き目に逢い、イベント用として今なお活躍を続ける19号機以外はあっさり廃車となってしまいました。
私的にも特に好きだったカマというわけではありませんが、元特急牽引機の500番代や、新性能車初期に見られた1つ目など、何となくそそられるものがあったことも事実です。
地味な機関車であっただけに、撮影した枚数も非常に少ないですが、現時点でスキャニングしてあるものだけを取り敢えずご紹介させていただきます。
昭和53年8月5日 東海道本線 真鶴~根府川間にて 白糸川橋梁を渡るEF6017牽引貨物列車
初期の1つ目車。新性能車初期のオリジナルなイメージをそのまま持っていました。
この頃は未だシールドビーム改造は一般的に行われていないため、殆どがオリジナルのデカ目でした。
昭和57年3月頃 東北本線 西川口~蕨間にて EF6028牽引貨物列車
この頃になるとシールドビーム改造車が増え始め、当機のみならず初期の新性能車のほぼ全般に伝染していきました。
したがって、オリジナルビームのカマに出会うことも稀になってきているため、興味のなかったEF60にもカメラを向ける機会が増えてきたように思います。
昭和58年5月16日 山陽本線 八本松~瀬野間にて EF60107
既に陽が翳り、写りが厳しくなってきた山間の線路。振り返るとEF60が目前にせまってきました。EF66を従えた雄姿は、「まだまだ高速だっていけるんだ!」という自信に満ちて見えました。
EF60自体もそうですが、雑多な貨車をランダムに連結して走る貨物列車は大変興味深く、力強さを表現するにも恰好の被写体でした。
しかし、そんな魅力を知ったのは、国鉄に入社して貨車の入換を担当するようになってからなので、入社後2年で貨物輸送はコンテナ列車中心の輸送体系となり、さらにその1年後には最後部を引き締めていた緩急車(車掌車)の連結も原則廃止となり、貨物列車のスタイルが大きく変化してしまいました。
そういう意味では、コンテナばかりの現在の貨物列車は魅力がかなり落ちてきたような気がします。が、国鉄型電機が最後の活躍を続けられるのが、貨物列車あってこそであるということも変わりありません。
EF60型はほぼ全滅となっていますが、旧国鉄型電機の行く末を見守りたいと思います。
しかし、私が運転中見かけたDQNなヤツつばさ様も同じ思いですね。軽なのにど真ん中に限りなく近いとこから右折しようとしたり、「おいおい、もっと端に寄らんかい!」とか言いたくなります。時々後ろからエアブレーキでシュッシュッってプレッシャーかけてます。排気ブレーキじゃないですよ。運転中の愚痴書いたら夜が明けそうなのでほどほどにしときます(笑)。
あの頃は60の500代しか眼中になかったので、その他は捨て駒のような感じでたかな。今となってはもったいなかった。
Nさん是非お誘いください。人数が多い方が盛り上がりますから大歓迎です。
65Pもまだ何両か残っていますね。
EF641000が出たときは、何て斬新なスタイルをしているんだと感動したものです。しかし、EF58を追い遣った元凶でもありましたので、手放しでは喜べませんでしたが。もう25年も過ぎたんですね。
緩急車も廃止になったときはガッカリしましたね。丁度与野駅に勤務していた頃で、大宮操車場に出入りする貨物列車を見ては、あの赤丸反射板がマヌケに見えてどうしようもなかったです。
今のコンテナばかりの貨物列車でも、最後の1両が空車の場合、やはり緩急車がつながっていないとシマリがないですね。傍目からみると入換え中の貨車みたいですよ。
タキ5450は何回も乗りました。ちっちゃいクセに性能の良いボギー台車を履いているので、乗り心地はいいです。手ブレーキも良く効きますし。
古き良き時代の貨物列車は、もう模型の世界でしか再現できないんですね。
EF60の後期型は本当にEF65と区別が付かないですね。間にEF62から64までの形式があるにも拘らず、何であんなに似ているデザインの機関車が出来たのか不思議な感じがします。
私も基本的に500番代狙いだったのですが、やはり東北・高崎スジではあまり見かけることが無かったので、記録としてはかなり少ないです。0番代自体も少ないんですがね。
Nさんにメールを入れたら返事が来まして、大変喜んでいました。あとはどのような作戦を立てるかですね。
自分が撮った頃は、一般用だけにお目にかかったくらいでした。
EF60はあまりお目にかかってないので、撮ってあるのかも微妙です。
ただ鉄道誌などでも一つ目と、サイドのスタイルが好きでHO模型(カツミ)のを買おうと思ったくらいでした。買ったのはEF651000番台になっちゃいました。
私もあまり着目していなかったので、あまり撮っていないな・・・と思っていたのですが。
プリントアウトしていないネガから出て来るわ出て来るわ、こんなに撮っていたんだぁと驚きましたよ。そのうちその2、その3、その4くらいまで行くんじゃないですかね。
特急塗装の501号機もありました。