こんばんわ。
特急も続くと飽きが来るといけませんので、この辺で旧型国電でも打っておきましょうか。ということで、久し振りの飯田線ネタです。
飯田線と言えば、旧型国電時代に「旧国の博物館」とも言われたほど様々な戦前型国電が走っていました。私が旧型国電に目覚めた頃には、大好きなクモハ42やクモハ52系流伝の残党もいなくなってしまい、かなり寂しくなっていましたが、大糸線や身延線と並んで最後の戦前型国電が活躍する路線として、旧国が廃止となるまでまぁマメに通ったものです。
今となっては撮影区間や撮った形式の詳細など不明で整理のしようも無いのですが、絵としてご覧いただければと思っております。
今日はその中から、飯田線に初めて撮影にいった頃の写真で、51系の写真をご覧いただきましょう。
全て、昭和56年7月21日撮影。
写真は、飯田線、大糸線、身延線を掛け持ちで撮影に行ったときのものです。
飯田線、身延線はこの後も少しの間旧国が活躍しましたが、大糸線は一足早く消滅しています。高校の同級生らと撮影に行き、さらに別の同級生のグループと行程中に出逢ったため、最後には8~9人くらいで行動していたように記憶しています。
写真は、初めて訪れた飯田線で、為栗駅を中心とした前後で撮影しています。
複数線区の掛け持ちだったので時間が無く、撮影も慌しかったと思います。
51系の電動車にはクモハ51と出力増強型のクモハ54が存在します。さらに、両形式ともオリジナルのクモハ51タイプと、ロングシートのクモハ41をセミクロス化改造したタイプが混在しており、改造で加わった車両の方が多いのが特徴です。
また、制御車であるクハ68も同様に混在しています。
オリジナルのクモハ51タイプとクハ68は、ともに半流形で単一の形態となりますが、クモハ41からに改造車は、平妻形と半流形が混在します。
さらに、クモハ51にはクモハ43からの、クハ68にはクハ47やクロハ59からの3扉化改造車も加わり、さらに難解な形式となっております。
本日アップしたのは、偶然ですがロングシート車である40系からの改造車のようで、形的には同じものばかりだったようです。
飯田線の写真はこの他にも沢山枚数がありますので、車両を出来るだけ区別しながらアップして行きたいと思っております。
特急も続くと飽きが来るといけませんので、この辺で旧型国電でも打っておきましょうか。ということで、久し振りの飯田線ネタです。
飯田線と言えば、旧型国電時代に「旧国の博物館」とも言われたほど様々な戦前型国電が走っていました。私が旧型国電に目覚めた頃には、大好きなクモハ42やクモハ52系流伝の残党もいなくなってしまい、かなり寂しくなっていましたが、大糸線や身延線と並んで最後の戦前型国電が活躍する路線として、旧国が廃止となるまでまぁマメに通ったものです。
今となっては撮影区間や撮った形式の詳細など不明で整理のしようも無いのですが、絵としてご覧いただければと思っております。
今日はその中から、飯田線に初めて撮影にいった頃の写真で、51系の写真をご覧いただきましょう。
全て、昭和56年7月21日撮影。
写真は、飯田線、大糸線、身延線を掛け持ちで撮影に行ったときのものです。
飯田線、身延線はこの後も少しの間旧国が活躍しましたが、大糸線は一足早く消滅しています。高校の同級生らと撮影に行き、さらに別の同級生のグループと行程中に出逢ったため、最後には8~9人くらいで行動していたように記憶しています。
写真は、初めて訪れた飯田線で、為栗駅を中心とした前後で撮影しています。
複数線区の掛け持ちだったので時間が無く、撮影も慌しかったと思います。
51系の電動車にはクモハ51と出力増強型のクモハ54が存在します。さらに、両形式ともオリジナルのクモハ51タイプと、ロングシートのクモハ41をセミクロス化改造したタイプが混在しており、改造で加わった車両の方が多いのが特徴です。
また、制御車であるクハ68も同様に混在しています。
オリジナルのクモハ51タイプとクハ68は、ともに半流形で単一の形態となりますが、クモハ41からに改造車は、平妻形と半流形が混在します。
さらに、クモハ51にはクモハ43からの、クハ68にはクハ47やクロハ59からの3扉化改造車も加わり、さらに難解な形式となっております。
本日アップしたのは、偶然ですがロングシート車である40系からの改造車のようで、形的には同じものばかりだったようです。
飯田線の写真はこの他にも沢山枚数がありますので、車両を出来るだけ区別しながらアップして行きたいと思っております。
でも最近元カシオペアの向谷実さんがバリ鉄をカミングアウトされ、なんだ、ロックと鉄って同じ世界だったんじゃん!と気付きました。
人生最大の後悔です。
土日はいつも朝ポチだい!
飯田線、旧型国電も素晴らしいのですが、この路線の救援車が山岳地帯という事で、前面観音扉の救援車が所属していた事ですね。
ロコモデルで、クエ28100番台を作ってもらって買った事もありました。
本日のポチ!っとね。
私も中2の頃バンドやってたんですが、バンドも結構時間を喰ってしまうので両立は難しかったかもしれません。でも、どちらも大事な青春時代ですから、それはそれで良いのではないでしょうか?
ちょうどその頃53・10改正も絡んできたので、大事な時期を逃したような気もしますけど。
救援車の写真、ありまっせ!まだアップして無かったかな?じゃ今度お披露目いたしましょ。中部天竜の木造車は間に合わなかったかも。
中学時代は鉄とバンド。高校時代は鉄はお休み、体育会系、バンド、大学でバイト、車、鉄、道場でした。
飯田線、身延線の旧国は複雑すぎてガイドブックを片手にしないと間違いそうです。他形式からの編入は複雑ですし。ただそこが面白いんですが。京阪神緩行、阪和、片町線もそうですが戦中戦後のどさくさな改造がより複雑化させたんでしょうね。
模型化されてもほとんどがキットか、更にそこから手を入れなければならない、奥が深いですね。
私も最初はみんな同じ形に見えましたよ。せいぜい色の違いくらいしか判りませんでしたが、やはり旧国ガイドブックを手に入れてかなり判るようになりました。パターンが大体解かってくると、その車両の人生も浮かんでくるようになりますね。ただ、ノーマルのまま人生を送ってきた車両が逆に一番判別しづらいです。
ガイドブックを買ってからは片町線も非常に興味を持ったのですが、とき既に遅し、新性能化されてしまってました。クモハ42系改造の73系なんて見てみたかったですね。模型化はブラスじゃないと困難ですので、今後も細かい形態の差があるプラ製は期待できないでしょうね。
PCがダメになってから家でみれないので、アーカイブの記事もチョコチョコ状態ですので。
楽しみにしてます。
労いのポチ!
飯田線もねぇ~、撮影回数が多いので、どのようにまとめたら良いか悩ましいんですよ。でも、た~くさんありますから楽しみにしていてください。身延線もまだありますし。