おはようございます。
近々ネタがありませんので、今日も昭和からの画像です。
昭和63年3月13日、青函トンネルの開業とともに寝台特急「北斗星」が誕生しています。そのときの様子については、過去ログ『EF8195「北斗星1号」:下り1番列車』で既にお伝えしております。
「北斗星」登場当初のEF81は、イベントガマを除いて全てローズピンクでした。しかし、あまり新しいものに興味を示さない私は、それほど「北斗星」の写真を撮りに行くことはありませんでした。
それでも数回の撮影記録がありましたが、何故かローズピンクではなく、虹ガマが多いんです。
昭和63年10月10日 蓮田~東大宮間にて
昭和63年11月14日 栗橋~東鷲宮間にて
画像は大きくなるようにしておきました。
開始当初は2往復が定期で、3・4号は季節列車でした。ただ、春休みを控えていること、人気が非常に高かったことから、ほぼ毎日3往復が運転されていました。
撮った数も少ないですが、何故か虹ガマに当たっており、当時は喜んでいましたが、ローズピンクの「北斗星」の写真が1枚しか撮っていなく、大変悔しい思いをしました。
しかし、今更ながら写真を良く見ると、EF8195も当時は白Hゴムの状態でしたので、今となっては貴重な写真なんだな、と思いました。
平成22年2月11日 蕨駅付近にて
参考までに、EF510への置き換えが迫ってきた頃のEF8195牽引「北斗星」です。
印象は人によって違うと思いますが、黒Hゴムの方が引き締まっているように感じます。
誕生から既に23年を経過し、虹ガマも「北斗星」牽引の任から外れてしまいました。
撮りこぼしで悔しい思いをいくつもしてきましたが、残った記録は必ず貴重な記録になるんだな、と思う写真でした。
近々ネタがありませんので、今日も昭和からの画像です。
昭和63年3月13日、青函トンネルの開業とともに寝台特急「北斗星」が誕生しています。そのときの様子については、過去ログ『EF8195「北斗星1号」:下り1番列車』で既にお伝えしております。
「北斗星」登場当初のEF81は、イベントガマを除いて全てローズピンクでした。しかし、あまり新しいものに興味を示さない私は、それほど「北斗星」の写真を撮りに行くことはありませんでした。
それでも数回の撮影記録がありましたが、何故かローズピンクではなく、虹ガマが多いんです。
昭和63年10月10日 蓮田~東大宮間にて
昭和63年11月14日 栗橋~東鷲宮間にて
画像は大きくなるようにしておきました。
開始当初は2往復が定期で、3・4号は季節列車でした。ただ、春休みを控えていること、人気が非常に高かったことから、ほぼ毎日3往復が運転されていました。
撮った数も少ないですが、何故か虹ガマに当たっており、当時は喜んでいましたが、ローズピンクの「北斗星」の写真が1枚しか撮っていなく、大変悔しい思いをしました。
しかし、今更ながら写真を良く見ると、EF8195も当時は白Hゴムの状態でしたので、今となっては貴重な写真なんだな、と思いました。
平成22年2月11日 蕨駅付近にて
参考までに、EF510への置き換えが迫ってきた頃のEF8195牽引「北斗星」です。
印象は人によって違うと思いますが、黒Hゴムの方が引き締まっているように感じます。
誕生から既に23年を経過し、虹ガマも「北斗星」牽引の任から外れてしまいました。
撮りこぼしで悔しい思いをいくつもしてきましたが、残った記録は必ず貴重な記録になるんだな、と思う写真でした。