蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

人生の後半は、どうなるの?

2011-10-02 | 日々のこと

昨日で、NHK連続ドラマ「おひさま」が終わった。

ああ、これで、毎日の朝8時の拘束から開放される。
平日は、ともかく、(ラジオのフランス語講座、7時半からのセットになっているので)
土曜日が、キツイ。
フランス語の放送がないので、うっかり忘れてしまいそうになるし、
土曜日モードでのんびりやっているのに、気がかり。
日曜日しか休みがないなんて、なんか、昨今の週休二日制のリズムに合わない。

とは言いつつ、毎回、逃さず見ていた。
これは、「ゲゲゲの女房」を初めとし、わたしの人生で、2回目の朝の連ドラ鑑賞。
夫には「おかあさん(=スロー)も、ついに、朝の連続ドラマを見る年になったんか」
と、感慨深く言われたが。


話は、それるが、わたし、夫に「おかあさん」と呼ばれるのは好きでない。
子供に話すときは、「おかあさんは、どこ?」、「おとうさんは、今日は遅いらしいよ」
などと、「おかあさん、おとうさん」で、なんの違和感もないのだが、
二人だけのときに、「おとうさん、おかあさん」は、ないだろう。
このごろ、「おか~ちゃん」なんて甘ったるく言ってることもあるけど、
わたしゃ、あんたの母親じゃないで~。

かといって、人前では「スロー」と、呼び捨てにされるのも、実は、すごくイヤ。
この呼び方で、わたしの夫のフィーリング、タイプがおわかりだろう。
いわゆる、古いタイプなのだ。

呼び捨ては、特にイヤ。
呼び捨てにするな! 
スローさん、スローちゃん、スー(愛称)・・・とか・・・
呼び捨てにされると、支配されているような気がして、こころが硬直する。
わたしも、呼び捨てにしたろか。
でも、呼び捨てどころか、「あんた」なんて呼びかけさえ、絶対言えない雰囲気。
30年間、一度も言ったことはない。
このヒト、いつでもどこでも、立ててやらんと機嫌を損ねるんでねえ・・・

「おいこら、おっさん」と思っていても、「おとうさん」と、呼びかけ、
あるいは、他の人には、ちゃんと正式名称で「○○さん」、あるいは、「夫」と言う。
「主人」とは、絶対、言わないが、ごくまれに、そう言ったほうがいい場では(たとえば、親戚の集まり)、
無理やり、自主規制で「主人」と言っている。

ちなみに、「ダンナ」という言い方は、きらい。
だれに咎められたわけでもないが、
他の女性が、配偶者のことを「ダンナ」と呼んでいるのを見たり聞いたりすると、
なんとなく、その女性のことを色眼鏡で見てしまう。

ごく親しい人が、会話のなかで自然に出るのは、まあ、そう目くじらを立てないが、
多くの人の前や、不特定多数の人の目のあるところで、公然と呼ぶのは、好きでない。

「うちのダンナさん」「うちの亭主」なんて、呼び方もあるけれど
まあ、みなさん、ご自由に、ご自分の好き好きにお使いください。
わたしは、「夫」ですね。
特徴や、思い入れ、カラーや温度、感情移入がなくて、無機質で、実質的で、無難。
いろんな公式書類の記入欄も、夫と書くようになっているし。


あ、おひさまから、まったく違う方向に話がそれてしまいました。

おひさまは、大好きで、楽しみにしていたのに、終わってしまったわけだが、
あのストーリー・テラー仕立ての展開、演出は、まあ、よく使われる手法ではあるものの
悪くはない。
最後の三婆、いえ、三大女優さん(一人は女優じゃないけれど)のサプライズ出演は
なかなかおもしろかった。
上手い具合のイメージ・キャスト合わせ。

話が、人生の、ある一時期だけに限定して進められる展開は、わたしは結構好き。
とは言うものの、子供時代~青春時代~子育て前半で、終わり。
その後はないから、人生の前半ってこと。
後半が知りたかったりするけれど、後半は、もう変化はないってこと?
ちょっと、つまらないけれど、
変化がないことも、幸福のひとつかも知れない。

最終回、手前の2回は、なんだか、時間が余ってしまって「脚本家の付けたし」っぽかったけれど、
ご愛嬌。

あああ、朝の爽やか、天然目薬・浄化タイムが、終了してしまった。

さて、来週からの新・朝ドラ、見るか、見ないか??
どっちになるだろう???

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