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わたしがブログを書くのは、何故か。
かつては、ウップンや憤(いきどお)り、怒り、疑問、不満、自慢、自分の発露だったが、今は、幸せな、のほほん、おばあちゃん。
楽しく毎日を過ごしている。
つい最近、ウォーキング不参加案件を通して、それをキッカケに、わたしのスタンスが変わった。
残された健康寿命を積極的に使おうという、意気込み、前のめりの鼻息の荒さ。
残された限られた時間を能動的に選んで使おうというもの。
林住期を思いっきりワガママに過ごすため、嫌なことや、乗る気がしないこと、興味がないことには、参加しない。
好きなことだけする。
もちろん、すべきことは、しなければならないが。
実はこれは、かつての友人がそういうスタンスだった。
今は疎遠だが、べつに喧嘩別れしたわけではない。
たまたま、そういう時期、流れだった。
その後、お互い、変化するのは止められない。
不思議なことに、全く同じスタンスの人がいた。
人生の林住期の過ごし方、信念が全く同じ。
ひょっとして、2人とも、五木寛之に影響を受けたのかも。
信念を行動に移して実践しておられる。
なので、近くにいたわたしも影響を受けた。
たまたま同じような人が近くにいた、、、のか、あるいは、類は友を呼ぶのか。
遠くに点在していたものが、目に見えない力で集まってきたのか。
仏教的思考がベースにあり、それは、わたしも同じ。
「無常」という考えだ。
わたしは、何ごとにも執着しないことを目指すが、まだまだ無理。
人間に対しては割と修行を積み、トレーニングしてきているが、モノに対してはまったく落第生。
解脱は程遠い。
まあ、まだ健康で動けるので、どうにでもなるだろうと、いたって楽観的だ。
ちなみに。
認知症予防には、キビキビ動いたりするのが苦手、メンドくさがりのわたしに、ぴったりの方法を編み出した。
ウォーキング(徒歩)で映画館まで往復し、字幕入り映画を観る。
語学の学習、感受性、思考力養成、芸術性アップ、娯楽性あり。
帰りに食材を買って帰って、家事も同時に完了。
あとは、ピアノ練習と、英語アプリ学習。
ダンスは、もちろん外せない。
旅や人との交流を、スケジュールの中に適宜に混ぜて入れると、メリハリ、彩りになる。
お金はそんなにかからない。
要は、やる気。
だが、口ばかり、、、で、一過性のため、習慣化する前に、落伍する可能性、大。
わたしが尊敬する、超人気ブロガーの、ちきりんさんがブログで言っていた。
若い時は、やりたいことや情熱があっても、お金と時間がない。
歳を重ねると、お金や時間があっても、やりたいことや情熱がない。
時間、やりたいこと、お金のバランスは人生を通してキーとなる。
以前、わたしは、老後の3大不可欠要素は、健康、友達、お金、だと思っていた。
だが、インターネットが普及し、健康でなくても、友達がいなくても、お金はさほどなくても、好きなことに時間が使える。
つまり、老後は時間は誰にでもあるからなんとも思わなかったが、時間こそが最重要だと考える。
老後だからこそ、限りがある。
時間は平等、とは言え、人それぞれ事情が違うから、何とも言えない面はあるが。
周りを見る時に、、、
自分より下ばかり見る人、上ばかり見る人、横ばかり見る人、全部見る人、全部見ない人、、、見ても見なくても、感想もそれぞれ、色々いる。
皆さん、自分の好み、偏り、特徴があるようだ。
わたしは、自分より一歩先、あるいは、半歩先を行っている人を見る。
上でも下でも横でもない。上下ではない。
時系列。
隆盛を誇っていた人も年月が経つと、もはや憧れの人ではなくなっていたり、逆の場合もある。
諸行無常、、、無常観に辿り着く。
強いものが勝つ。
だが、盛者必衰。
時と共に移り変わる。