蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

平凡が良い

2019-02-08 | 
姑は、働き者だった。
特に気働きの人。
炭鉱で男に混じって真っ黒になって、一人息子を育てた、なんていうのなら、文学ものになりそうだが。プロレタリア作品。
残念ながらそっち系ではなく。
地方都市の普通の専業主婦だったので。

TVファミリーヒストリーには、あるあるタイプかも知れない。
その気になれば盛れそうだ。

なにしろ親戚の話、同級生の話、地域の人の話が好きだった。
特に、没落した人の話は大好き。
華やかし頃と、没落後の落差を語るのと、定型文のルーチンワークのノリ。
台本があるんですか?
(だが、第二次世界大戦を挟んで、日本は大きく変わり、社会も変貌を遂げた。
影響を受けなかった人はいない)

同じ没落ストーリーでも、源氏と平家とかはダメ。
戦国時代もダメ。
自分の身近な、実際にリアルに見聞きした、知っている人が登場しないと、臨場感が無いようだ。

いつも、崖の下に落ちた人を見て、安心する。
ああならないように、頑張る。
上を見ることはあまり無いように思う。
なぜだろう?
上には行けないが、下には簡単にドロップアウトしてしまう。
しっかり気合いを入れて現状維持を目指す。
そんなかんじだろうか。
ハングリー精神とはまた違ったプレッシャーがある。
上を目指すのではなく、下に落ちないよう、一生懸命努力する。

上を目指すには、現状をキープする方にエネルギーが必要で、余裕がない。
上昇しないで、いつまでも低空飛行かというと、低空飛行ではない。
上昇はしないが、高いところを飛んでいる。
上昇志向はないが、普通にしていると落ちてしまう。
結果的には高い位置を維持すること自体が上昇志向なのではないだろうか。
と、ここまでは姑の話。
「聞き役、お疲れ様でした」と自分を労おう。

ここからは、自分の感想。

高い、低いは、自分の中にあるもの。
人と比べるのではなく、自分との闘い。
高いと感じたければ、自分より高い人は見ずに低い人を見れば良い。
低いと感じたければ、自分より高い人を見て、低い人を見なければよい。
自分が見る人は、自分で選んでいると思う。
いつまでも過去にとらわれていても進展はない。
劣等感や優越感につながる。
劣等性と優越性とは違う。

自分がどうなりたいか、だ。
上を見たり、下を見たり、横を見たり、斜めを見たり。
周りがどうであっても、自分は自分。

考え方や感じ方は、人によって違う。
年代や地域、職業、収入、環境などによって、大いに違う。
姑のものの見方や考え方は、それはそれで確立され、存在している。
自分とは違っていても、目指すところが同じなら、共存共栄でありたい。
平凡が一番の幸せだと姑は言う。