わたしは、母より20歳、老けている。
計算がおかしい、前からおかしかったが、ついにアタマが決定的に狂ったか、と思われそうだが。
母がわたしの年齢の時は、がんがん元気で活発で活動的だった。
まだ父も存命だったし、夫婦ともに現役バリバリだった。
「女性の50、60歳は、一番気力も体力も知力も備わった時期だから、なんだってパワフルに、やりたいことができる黄金期」と、母はわたしにハッパをかけて言っていた。
ハッパをかけられても、別に何をするでもない、へんにおとなしい、わたしだった。
80歳を超えている頃の母の体力、気力が、ちょうど今のわたしぐらいである。
つまり、わたしは実質、80歳超えというわけだ。
体力、気力ともに。
わたしは、母より20歳も心身ともに、早く弱っている。
あと20年すると、「寝たきり」とは言わないが、「座りきり」になっているのではなかろうか。「スマホ持ちきり」か。
母は85歳まではシッカリしていた。
ということは、わたしも65歳までは、それなりにシッカリしていることだろう。
今の母は、最近、体力が落ちて、昼寝をすることが多くなったようだ。
母は今、90歳超なので、母の姿は、わたしの70歳超え未来図かといえば、そうでもないと思う。
70歳超えのわたしは、たぶん、今の母よりシッカリしてそう。
100歳超えになった時の母は、80歳超えのわたし。
わたしは、今とあまり変わらないと思う。
では、110歳超えの母と、90歳超えのわたしは?
そのあたりの年齢では、ボケぶりも大まかには変わらず、だんだん帳尻が合ってきそうだ。
書いていて、だんだん眠くなってきた。
なんとまあ。
このまま、萎れて枯れていくのか。
・・・
ここから下↓に、半分居眠りしながら、たらたら、だらだら長文を綴っていた。
が、ラインが入り、いったん下書きに保存したつもりが、保存されていなかった。
つらつら書いた内容は、ますます眠りへ誘うような意味のない駄文だった。
なので、消えてちょうど良かった。
自分の人生もそんなものかも知れない。
熱心に取り組んでも、夢中になって時間を消費しているだけのこと。
浦島太郎のごとく。
一瞬で歳が行く。
夢中に消費できる時間が、あと20年もある。
とても幸せなことだ。
持ち時間を使ってしまえばそれで終わり。
これ、自分の持ち時間だと気付いただけでも、儲けもの。
病気になったりする可能性も大いにある。
使い古された新鮮味のない言葉だが、まさに「今を大切に」である。
計算がおかしい、前からおかしかったが、ついにアタマが決定的に狂ったか、と思われそうだが。
母がわたしの年齢の時は、がんがん元気で活発で活動的だった。
まだ父も存命だったし、夫婦ともに現役バリバリだった。
「女性の50、60歳は、一番気力も体力も知力も備わった時期だから、なんだってパワフルに、やりたいことができる黄金期」と、母はわたしにハッパをかけて言っていた。
ハッパをかけられても、別に何をするでもない、へんにおとなしい、わたしだった。
80歳を超えている頃の母の体力、気力が、ちょうど今のわたしぐらいである。
つまり、わたしは実質、80歳超えというわけだ。
体力、気力ともに。
わたしは、母より20歳も心身ともに、早く弱っている。
あと20年すると、「寝たきり」とは言わないが、「座りきり」になっているのではなかろうか。「スマホ持ちきり」か。
母は85歳まではシッカリしていた。
ということは、わたしも65歳までは、それなりにシッカリしていることだろう。
今の母は、最近、体力が落ちて、昼寝をすることが多くなったようだ。
母は今、90歳超なので、母の姿は、わたしの70歳超え未来図かといえば、そうでもないと思う。
70歳超えのわたしは、たぶん、今の母よりシッカリしてそう。
100歳超えになった時の母は、80歳超えのわたし。
わたしは、今とあまり変わらないと思う。
では、110歳超えの母と、90歳超えのわたしは?
そのあたりの年齢では、ボケぶりも大まかには変わらず、だんだん帳尻が合ってきそうだ。
書いていて、だんだん眠くなってきた。
なんとまあ。
このまま、萎れて枯れていくのか。
・・・
ここから下↓に、半分居眠りしながら、たらたら、だらだら長文を綴っていた。
が、ラインが入り、いったん下書きに保存したつもりが、保存されていなかった。
つらつら書いた内容は、ますます眠りへ誘うような意味のない駄文だった。
なので、消えてちょうど良かった。
自分の人生もそんなものかも知れない。
熱心に取り組んでも、夢中になって時間を消費しているだけのこと。
浦島太郎のごとく。
一瞬で歳が行く。
夢中に消費できる時間が、あと20年もある。
とても幸せなことだ。
持ち時間を使ってしまえばそれで終わり。
これ、自分の持ち時間だと気付いただけでも、儲けもの。
病気になったりする可能性も大いにある。
使い古された新鮮味のない言葉だが、まさに「今を大切に」である。