蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

同じ年の素晴らしい人!

2019-02-23 | 
母。
嫌い。
わたしは嫁に行って、実家を出て清々した。

代わりに兄に嫁が来た。
わたしの旧姓を名乗ってくれた。
ありがとう、わたしの代わり。
気の毒な気もした。

あの母が姑。
よほどのすごい人でないと、太刀打ちできない。
当時、20代で、美人で、すこぶる頭脳明晰だった。
父は嫁を誇りに思い、喜んだ。
わたしは、実家の兄にあんな素晴らしい人が来てくれて、とても嬉しかった。鼻も高かった。
でも、母は、彼女の良さがわからなかった。
相性の問題だろう。

兄嫁は、眉目秀麗で優秀、優等生タイプで、お嬢様育ち。
母は、寝ずに働く労働者タイプ。
はっきり言って、合いません。

彼女の良さを理解し、崇めたてまつる父が他界したあと、母と兄夫婦は同居した。
わたしには、兄嫁がとても不憫だと思った。
が、母も自分の道があった。
絶対に譲らない。
価値観の違い、相性が合わないというのは、悲劇を生む。

夫婦二人がぴったり寄り添っていたら、姑の存在にも力を合わせてどうにか対応できるだろう。
しかし、兄はマザコン。
ああ、最悪。
強烈な母の前では無力、刃向かえない。

身代わりの兄嫁を尻目に、わたしはわたしで、時代遅れの地方の嫁ぎ先で、喘いでいた。
そういう時代かも知れない。

ちなみに、わたしと兄嫁は同学年。
同じ県内。
時代や地域差、経済格差なんて理由にならない、同じ教育環境だった。
兄嫁はピンキリのピン。素晴らしい秀才。
わたしはその歴然たる違いに、卑屈になることもなく、すごい!と賞賛していた。
ホンネ!である。
わたしは、へんなところがあり、素晴らしいものには、文句なく、自分をはるか越すことには、ストレートに素晴らしさを褒め讃える。
なので、当時の受験事情、時代の色がまったく同じ状況での兄嫁の学力には、はは〜っと、葵の御紋を見せられた町娘以上に、ひれ伏せる。
しかも、さらに、どう?こんなにスゴイお嫁さん!と誇り高く思う。
デキの悪い娘の代わりに、最高ランクのお嫁さんが来た!

しかし、複雑な事情が背景にあった。
価値観の違い、相性の違いはどうしようもない。
わたしは、実家から舟を漕いでたどり着いた対岸から眺め、すでにわたしの居る場所でないことに、安堵した。
火事現場から逃げ去った。