コロナカードが仮に存在するとする。
で、携帯するとすると、「重症になった場合、治療を希望しません」「希望します」
さて、わたしはどちらに○を付けるだろう。
もう充分生きたから未練はないという、人生の達人先輩はつじさん、みたいに潔くいけるか?
自信がない。
生きるには食欲はあるが、寒くなるとファッションに構う気力がない。
寒さには勝てない。
昨日、一昨日と、長女と同じ場所でインナーマッスルトレーニングを受けた。
昨日も一昨日も、わたしの服、ファッションは上から下まで(もちろん靴も)ガラリと替えている。
タートルネック、チュニック、パンツ、バッグ、靴、、、全てチェンジ。
とどめとしては、コートも別のもの。
当然ながら、色もデザインも違う。
季節的に「合い」の、しかも少し寒めな日には頃合いのコートの持ち数は少ないにもかかわらず、、、だ。
こんなに、ころっと全部入れ替えているのに、強いて言うならチュニックの色味が似ているだけなのに、長女は、「昨日と同じ服やね」と、すれっと言う。
興味ない目で見られると、全裸になっていても気づかれないかも知れない。
いや、路上で全裸になるとさすがに、、、
いえ、第一、なりません。絶対に。100億円もらっても。
もし、家族の命と引き換えに、、、と脅迫されたとしたら、、、そんな仮定は、却下する。
わたしの場合、生きる意味、目的はなんだろう、、、?
はつじ先輩のように、わたしも充分人生を自分なりに楽しんだ。
だが、欲張りなので、もっと、もう少し、、、と、満腹なのにどんどん食べ物を口に詰め込むタイプかも?
あるいは、ポケットに財宝や金貨をパンパンに詰め込んでいるのに、もっともっと、と詰め込み、ポケットが破れるか、その荷物のせいで逃げおくれるか、、、花咲か爺さんのコブじいさんか、舌切り雀の欲張り婆さんのような、、、あんなかんじかも知れない。
孫や子供たちに、みっともない無様な姿は見せたくない。
わたしが仮に、欲がない美しい老人になったら、すんなり重症医療ノーサンキュー欄にチェックを入れたコロナカードを堂々とかざして闊歩することだろう。
しかし、皮肉なものだ。
欲にまみれている間は生き恥を晒して生きなければならないようだ。
※備考
これはあくまでも、はつじ先輩とわたしの、コロナ禍、重症病棟が満室時における感性、考え方であり、平常、一般の方々の命は尊く、尊厳がある。
誤解なきよう、お願いします。