蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

きもちわるい?

2020-12-05 | 日々のこと
昨夜、TVでモノマネ大賞決定戦を見て、一人でゲラゲラ声をあげて笑った。
何度も大声で笑っていたので、アタマがおかしくなったのかと思われても、おかしくない。
笑っている自分に、もうひとりのわたしが、「これ、めっちゃめちゃ、おもしろいわ」と言っている。
その声を聞いている、第三のわたしもいたりして、おひとり様分裂症なのかも知れない。
だが、在宅、ひとりで良かった。
もし家族がいたら、あんなに大声で度々、爆笑するのは恥ずかしくて躊躇われる。
でも、面白いものは無条件に面白い。
パントマイム的な動きが、理屈抜きで、脳の爆笑スイッチを押す。

しかしまあ、モノマネ人の歌唱力は半端ではない。
それにも聴き入っていた。
田中裕子主演「おらおらでひとりでいぐも」の映画そのものである自分の心象風景と、行動に、苦笑した。
明らかにわたしは20年早い。

まだ夫も健在で、わたしは独居ではない分、独居光景を地で行くには20年若い。
(未亡人になるには10〜15年後ぐらいな予感がするが)
が、何の違和感もなく、20年先取り生活がすでにスタートしている。
家のご近所の元おにいちゃん、現おじさんは、犬を相手にいつも大声で話している。
ちょっと前までは、年老いたお母さんを相手に罵倒していたが、最近はとんとお母さんに向けた怒鳴り声が聞こえない。
どこか施設に入所されたのかと推測する。

それはそれとして、人は声を出すことで、精神をニュートラルに保とうとするメカニズムが自然に備わっているのだろうか。
生後4ヶ月の孫ベビーと話していると楽しい。
わたしの出した声に対して反応する。
音色や、発声タイミング、間髪の合間や大小が、まるで共演、協調して楽器を奏でるかのように、コラボしているように感じる。
話の中身は、あ、そう〜、そうなの、あ〜、う〜、あ〜う〜、、、というもの。
意味はなんだっていい。
声の応酬。
生後4ヶ月は、声を出すのにもお腹に力を入れて発声していることだろう。
真っ赤なお餅を焼いたような張ちきれそうなほっぺをしている。
重さや圧力、弾力は、ずしりと、まるで、ほんのり温かい精巧なお人形のよう。
わたしはペットを飼う趣味がないので、ペットはこんなかんじなのかも知れない。
しかし、ずっと抱っこしていると腕や肩、背中にこたえる。
今のところは、昔の育児をしない父親のごとく、見て遊ぶだけの良いとこどりをしている。
あと数ヶ月のお楽しみ。
産休が終わった後は、育児要員としてスタンバイのお役目が待っている。
あっという間に時は過ぎてしまうから、めいっぱい、赤ちゃんの頃を脳裏に焼き付けておきたい。
すぐに成長してしまうため、わたしの老化のスピードと勝負している。

「鬼の居ぬ間に洗濯」ではなく、「親の居る間に心の洗濯」だ。


さてさて、コロナ、成り行きを見守りつつ、新しい年が明け、世の中が少しでも良い流れになることを祈って、、、
今日は、おしまいです。