蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

暮らし雑感

2020-12-19 | 暮らし
まあなんと寒いこと。
身を切られるような冷たい風に震えている。
わたしは夏生まれのせいか(生まれた季節とは関係ない、と言われるが)寒がり。

と今日は2日前に書きかけていた季節ネタからスタート。

親切にしてはいけない人、温情をかけてはいけない人には、親切にしてはいけない、、、というブログ村エッセイの記事を読んで、感想。
わたしは温情や親切や恩は一方的に受ける側であって、お返ししない、気働きが出来ないタイプだ。
だから、ため息をついて離れて行った人も少なからずいると想像する。
唯一、残っているのは、身内、家族だけ?

冠婚葬祭やお祝い事は、当然、お返しをするのが常識という環境に長年、身を置いている。
厚かましく人のモノを欲しがる人は神経を疑うというようなことも記事にはあった。
わたしは、、、。
「ちょうだい」とわたしが、せがむ相手は長女。
彼女は自分が不要品と判断するや否や処分するので。
人にあげたり、捨てたりするから、早めに、欲しい旨を伝えておかないと、手元から消えてなくなってしまう。

が、彼女のお下がりは、わたしの日常生活がどこかしら快適に変わったことに貢献している。
例えば、スクエア型洗濯用ピンチ(いくつも引っかける洗濯ハサミがぶら下がっているもの)、台所流し用の洗いかご、ユニ○ロのフード付き(わたしにはピチピチSサイズ)ダウンベスト。
それらは大変重宝している。
が、靴はダメ。
履き癖がついているため快適ではない。

あとは、次女からのお下がりの電鉄交通フリー券。
これはわたしの生活ががらりと変わったと言っても過言ではない。(過言ではある、が)
フリーパス(定期券)のおかげで、乗り換える駅が変わり、利用する電鉄会社、電車ルートがころっと変更された。
今まで長年使っていた駅に降りることは全くなくなった。
これは大きな変化である。
次女が独立し、実家から転居したため、自宅から使っていた(誰でも使える)定期券を残してくれて出ていった。
これは、嬉しかった。
自分で買えば済むことなんだが、自分ではあまり行動しないほうなのでいつも受け身。

服も断捨離に忙しい、長女、次女に、捨てる前に一言声かけてね、と頼んでいる。
彼女たちが買いたてほやほやの新品の時から、とりあえずそう伝えている。

ちなみに、姑には、何かあるにつけ「将来、歳とったらお小遣いちょうだいね」と言われていたことを思い出す。
が、そう言っていた姑だが、子供達の記念日、お誕生日、行事にお祝い金をくれることはあっても小遣いを実際にねだることはなかった。
心身共に自立できなくなってからは家族が経済、その他は代行していたが、自分の要介護後の資金ぐらいは預金通帳には残っていた。

しかし、事あるごとに「(将来)お小遣いちょうだいね」発言は、良い印象は抱かなかった。
姑は、配偶者である舅は稼いでも、自分の思い通りになる額は、希望どおりとはいかなかったようだ。
自由になるお金が欲しかったのだろう。

舅が他界してからは、姑にとってはこの世の春。
息子から毎月、誰の干渉も受けず好きに使える資金が振り込まれる。
(舅の年金も姑の手に)
姑から我々息子夫婦との同居をずっと前からわたしは言われていたにもかかわらず、いつの間にか立ち消えになっている。
息子夫婦、嫁であるわたしや、かさ高い息子と同居すると、せっかく手に入れた自由が目減りするかんじかなと想像する。

お手本になる、見せる生活をするのはしんどい、と姑はかつて元気な頃、言っていた。
それ、すごくよくわかる。

わたしは娘一家とも同居しない。
長女の家から自分の家に帰ってくると、ほっとする。
世の中には、同居しておられる方もいて、頭が下がる。
同居せざるを得ないため、(意に反して、または納得して)同居している人もいる。

父親が亡くなり母(おばあちゃん)ひとりでは可哀想だと同居を始めた家庭もよくある。
わたしの実家もそうだ。
ただし、母が寂しくて可哀想なのでは断じてない。
同居の初日から嫁姑のバトルの火ぶたは切って落とされたが、実家ながら気の毒である。
今、思えば、なんで同居などしたのだろう?
まあ仕事やいろんな事情からではあるが。
同居しない選択肢もあったのに、同居を選んだ理由は?
だれも疑問も抱かず、すんなり同居に進んだようだが。
丸く収まっている。(丸くはないか、、、)
計算、打算なども含まれているのだろうけれど。
もう一歩、追求した考え方、提案があっても良さそうなものだ。
実家ながら、今更ながら不思議に思う。 

皆さん、いろんな生活の仕方がある。
その人、その人の暮らし方。
同居、、、一つ屋根の下に一緒に暮らすのは、今のわたしなら卒業した感がある。

独居自立できなくなるまでの今を大切に生きたい。
あ、よく考えるとわたしはまだ独居ではなかった、、、。