蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ミステリー

2023-03-11 | 日々のこと
10年近く前からインターネット上でやり取りしている人物と、直にリアルで対面することになった。
先方は、インターネットでご自分の動画を度度アップされているので良いが、わたしは覆面のまま、10年が過ぎている。
今回はわたしが、その人に初めの第一声をかけることになる。
なぜなら、わたしはその人の顔を知っているが、その人はわたしの顔を知らない。

なんだか、お見合いみたいだ。
まず、女性に男性の写真付きプロフィールを見せる。
それでオッケーなら選択のテーブルに乗る。
女性が男性を断る確率が高いらしく、そのほうが、カップル成立率が高いそうだ。

今回はお見合いではない。
マッチングでもない。
わたしはその人物の動画を長年にわたり、何回も見ている。
が、相手はわたしの外見の予備知識ゼロ。
知っているのは、突き放したような毒舌のみ。

わたしは見かけと中身が違うが、別にそれがどうした?という気持ち。
外側からイメージする中身などは、見る人が勝手に想像して作り上げたものに過ぎない。
かつて、同じようなシチュエーションがあったが、見事に外見は何の意味もなさなかった。
かれこれ10年以上前のこと。

外見に対する話は一切出なかった。
あまり関係なかったんだろう。
それはそれで不思議なような気もするが。
内面だけのつながりだったので、外見は、ついで、オマケだったような気がする。
この人とは多分、一生のお付き合いになるだろう。
と言っても、会ったり、面と向かってやり取りしたりしない。
遠くから(インターネットで)無事を確認するだけ。

さて、今回は?

外見なんかどうでもいいじゃない?と、クールなわたしだが、第一印象を重んじる。
これは、要。
後は第一印象通りなのか、徐々に剥がれていくのか追加されるのか。
加算法か、減点法か。
(良い意味でも悪い意味でも)期待を裏切るその一瞬は、スリリングである。
ミステリーは最初だけ。 
現実があるのみ。

老化して外見に自信がなくなった分、中身で勝負。
だが、中身も認知症気味だとすると、、、どこで勝負するのか?
今日という日は2度と来ない。
今更見栄を張ってもしかたない。
自然、成り行きに任せる。



ライバル

2023-03-11 | 日々のこと
「わたしに、わかるように説明して!」

5歳女児I(3番目孫)に、しくしく泣かれた。
 
そうだよね。
大人はわかっても5歳女児にはわからない。

何回、説明しても
「そういうことじゃなくて!」を繰り返す彼女。
「どこがわからないの?」
と聞いたら
「知らない言葉が出てくる」
と返事。

なるほど、そうか。

保育所で、きゅうりを作るので、作り方を調べてくるように、と先生に言われたらしい。
それで、きゅうりの栽培の仕方を説明したが、口ではダメ、絵でもダメ、インターネット引用でもダメ、、、
あたまから聞く耳を持たない。
ツルや新芽や、植物の用語を使ったから、拒絶反応を示されたようだ。
たぶん、自分がわからないことを準備して来いと先生に言われ、プレッシャーでパニックに陥っているのだろう。

2番目孫K(小2男児)なら、全く先生の言うことなど気にも留めず、聞いていないだろう。
きゅうりを作るその瞬間になっても、前に言われていたことも、予め予習的知識なども、まるで頭に無いだろう。
説明書を読まないタイプ。
きょうだいでも、いろいろ。

3番目孫Iは、へんにこだわりが強く、真面目なところがある。
全力投球タイプ。
自分がやりたいこと(たとえば、思い通りの絵での写実描写)が出来ない時の逆噴射エネルギーはすごい。
何度も練習するが、描きたいように描けない。
絵やお手紙も一生懸命書くのだが、まだ文字は鏡文字(反対向き)がちらほら。
1番上の電車オタク兄ちゃんY(小4)は、絵や文字そのものを小さい頃は書かなかったから、文字がちゃんと書けてない時期がなかった。
彼は絵を描くと、ずっこけるぐらい、ありえなく下手。
興味は電車一本槍なため、その関係で地理、社会科全般は得意。
2番目孫K(小2)は、文字は書いていたが、迷路などを描いていたり、家にある材料で工作をしていた。
女児孫たち(2歳と5歳)の共通点は、言葉が完璧なこと。
2番目孫Kは、へんな外人カタコトだったが、女児たちは、その時期が全くなく、いきなりパーフェクト日本語。
どこの大人がしゃべっているのかと思う、紙おしめ女児。
関西弁も完璧。
最近は、「オーマイガー」などとオプションを追加。
女児と男児の違いか?性質の違いか?

じつに面白いものだ。

だが、大人にもあり得る、「わからないことが、どこがわからないのかわからない」「わからないことが出来ない」「やりたいが、出来ない」
そういうモヤモヤ過程がとても手に取るようによくわかる。
ちょうど、これからのわたしの逆、推移を見るようだ。

わからないことをわかろうとする意欲をうまく道に乗せて導くと、滑り進んでいく。
これは、わたしも初めての分野(趣味分野)でそういう思い、経験をしている。
これもまた、成長過程を孫たちと共にしている。

いくつになっても、やりたいことが出来るように、自分を奮い立たせ努力するのは良いことだと感じる。
孫にはあっと言う間に追い越されるが、それも道。
孫と競争はもう無理だけど、良きライバルだ。