わたしの蝶ブログはあくまでも空気抜き。
次のステップはない。
ただ、過去記事を読んでドキドキする。
心臓に悪い。
どんなケシカランことを書いているのだろう、と、自分を信用できない。
大概は、がくっと気が抜ける。
なあんだ、と。
だが、過去は今より脳みそはギュっとしているように思う。
例えば「『10年前の出来事を書いた過去記事』を読んだ」という5年前の過去記事を読むと、これまた面白い。
中学の時に習った英文法の「大過去」???
微妙に違う。
20歳の時に想像した40歳を、60歳の時に読む。
逆か。
「40歳の時に、20歳の頃、書いた話を読んだ」話を60歳の時に読んだ。
そんなかんじか。
何だかよくわからなくなってきた。
さて。
暮らすような旅がしたい、という(ブログ村エッセイ)還暦ブロガーさんのブログ記事を読んだ。
日本国内の見知らぬ土地で、知らないスーパーで買い物したり、現地の調味料を使ったり、その土地でしか味わえないことを体験してみたい、と。
ただし、1週間だけ。
この発想は、若い頃は憧れの外国だったり、未知の外国だったりしたが、還暦を過ぎるとエネルギー不足になり、リスクを避けたくなる。
で、国内に。
(わたしは、1週間は短いと思う。せめて2週間)
体力、気力、知力、実践力、、、自分に見合った冒険がしてみたくなるようだ。
わたしは、向こう見ずは卒業。無茶はしない。
だいたいの自分が見えるから、自分の楽しめるプランを練ると思われる。
わたしは、色んな経験はもう別にしなくてよい。
広く浅く新たに体験より、自分の想いをより濃く充実させ、仕上げの段階にかかりたい。
未知の新しいものに挑戦するのではなく、自分の知っていることを更に深めたい。
ブラッシュアップしたい。
洗練、研ぎ澄ましたい。
ただでさえ、狭い嗜好がもっともっと狭くなる。
狭くなるだけで、深くならないかも知れない。
それでもいい。
だが、深くするためには、殻に篭らず、いろんな刺激を受けたほうがよい。
他を知ることも、自分を深める。
発見、気づきは、いつも新鮮。
とかなんとか言いつつ、うずくまることもある。
愚痴りたい、が、自分との闘い。
いくつになってもスランプはある。
次に進むため、跳躍前にかがむ。
スランプは次の展開、次のページに移る、その前段階だと感じる。
起承転結の転。
もうじき、結論が待っている。
が、先に「転」がある。
人生には小さな起承転結がいっぱい散らばっていて、それらで構成されて、全体に大きな起承転結になる。