自分の行動を選ぶ時、目的と難易度と適性を考える。
自分とはまるで関係ない雲の上のようなことでも、憧れ眺めるだけなら、自分の適性(能力)は関係ない。
自分もやってみる場合は、ある程度、適性(能力)が関係する。
その間に横たわるのが、難易度。
それを柔軟に跳ね退けるのは、熱意、どれぐらい好きか。
あまりにも適性がない場合、いくら好きでも、費用対効果や、能率、効率を考えてみる。
見通しなど、まるで無視、でも良い。
人それぞれの時間の使い方、労力の使い方、お金の使い方、エネルギーの使い方。
そう考えると、危険でハードな「登山」なんて、よほど好きでないと出来ない。
緊張感や達成感は何ものにも代え難いのだろうけれど。
わたしには無理。
わたしは、怠け者なので、何ごとにも、ぬるい。
緩い、温い。
最小限の労力で最大限の効果を期待する。
省エネ。
あまり無茶はしない。無謀な試みにはチャレンジしない。
手堅く行く。
ローリスク、ローリターン。
おそらく、満足の沸点が低いのだろう。
なので、なかなか行動には移らない。
活気がない。
感情の起伏が少ない。
淡々としている。
人に押されて渋々動く。
しかし、動くからには効率を重視する。
期待が少ない。プラスがあれば、儲けもの。
なんでもいいのだ。
こういうのを覇気がないと言うのだろうか。
だけど、いつもだいたい機嫌は良い。
(でも、怖いものはいっぱいある)
ここまで昨日、書いて、ボツにしようとした。
が、今朝、捨てる前に読み直してみた。
このまま続けて書くことにする。
日が変わると気分も変わる。
わたしが最も苦手とするのは、自分から自発的に能動的に動くということだ。
自分で考えて自分で決断して自分で行動する。
この局面になると、途端に苦しむ。
受動態が楽。
どうしたい?わたし?
どうすればいい?わたし?
2択か3択。
①する②しない③保留
わたしは保留が多く、もたもたしている間に選択肢が狭まり、最後には選択肢がなくなる。
それは避けたい、と考えに考えるのだが、熟考しすぎて、決断できない。
これを優柔不断というのだろう。のろま。
自分の性格は自分が一番よく知っている。
したいか、したくないか。二択。
これに、「別にどちらでもよい」が加わる。
すると、事態に流される、ということになる。
そうなる前に決めなければ。行動しなければ。
期限を気にしながら、ぐずぐずする。
最後あたりには、脳の空気が圧縮されて決まってくるのだが。
選んだことが失敗方向だったとしても、嘆くのは自分。
誰の迷惑にもならない。
自業自得。
あまり能動的な欲求がないため、困る。
そう言いつつ、損はしたくない。嫌な目には遭いたくない。
煩悩のカタマリである。
損得感情が動き始めると、たちまち躍起になる。
欲深い。
※写真は、吹田の地車(だんじり)
天保期(1830〜1843)頃の作だとか。