蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

悩みは優柔不断であること

2024-02-17 | わたし
自分の行動を選ぶ時、目的と難易度と適性を考える。
自分とはまるで関係ない雲の上のようなことでも、憧れ眺めるだけなら、自分の適性(能力)は関係ない。
自分もやってみる場合は、ある程度、適性(能力)が関係する。
その間に横たわるのが、難易度。
それを柔軟に跳ね退けるのは、熱意、どれぐらい好きか。

あまりにも適性がない場合、いくら好きでも、費用対効果や、能率、効率を考えてみる。
見通しなど、まるで無視、でも良い。
人それぞれの時間の使い方、労力の使い方、お金の使い方、エネルギーの使い方。

そう考えると、危険でハードな「登山」なんて、よほど好きでないと出来ない。
緊張感や達成感は何ものにも代え難いのだろうけれど。
わたしには無理。

わたしは、怠け者なので、何ごとにも、ぬるい。
緩い、温い。
最小限の労力で最大限の効果を期待する。
省エネ。
あまり無茶はしない。無謀な試みにはチャレンジしない。
手堅く行く。
ローリスク、ローリターン。
おそらく、満足の沸点が低いのだろう。
なので、なかなか行動には移らない。
活気がない。
感情の起伏が少ない。 
淡々としている。

人に押されて渋々動く。
しかし、動くからには効率を重視する。
期待が少ない。プラスがあれば、儲けもの。
なんでもいいのだ。
こういうのを覇気がないと言うのだろうか。
だけど、いつもだいたい機嫌は良い。
(でも、怖いものはいっぱいある)

ここまで昨日、書いて、ボツにしようとした。
が、今朝、捨てる前に読み直してみた。
このまま続けて書くことにする。
日が変わると気分も変わる。


わたしが最も苦手とするのは、自分から自発的に能動的に動くということだ。
自分で考えて自分で決断して自分で行動する。
この局面になると、途端に苦しむ。
受動態が楽。
どうしたい?わたし?
どうすればいい?わたし?
2択か3択。
①する②しない③保留

わたしは保留が多く、もたもたしている間に選択肢が狭まり、最後には選択肢がなくなる。
それは避けたい、と考えに考えるのだが、熟考しすぎて、決断できない。 
これを優柔不断というのだろう。のろま。
自分の性格は自分が一番よく知っている。

したいか、したくないか。二択。
これに、「別にどちらでもよい」が加わる。
すると、事態に流される、ということになる。
そうなる前に決めなければ。行動しなければ。
期限を気にしながら、ぐずぐずする。
最後あたりには、脳の空気が圧縮されて決まってくるのだが。

選んだことが失敗方向だったとしても、嘆くのは自分。
誰の迷惑にもならない。
自業自得。
あまり能動的な欲求がないため、困る。
そう言いつつ、損はしたくない。嫌な目には遭いたくない。
煩悩のカタマリである。
損得感情が動き始めると、たちまち躍起になる。
欲深い。

※写真は、吹田の地車(だんじり)
天保期(1830〜1843)頃の作だとか。