蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

昔、わたしは若い女性だった

2024-02-10 | わたし
人はいつまでも、感情だけが残る。
喜怒哀楽の中でも、マイナス感情は延々と尾を引く。
何にあんなに怒っていたのか忘れても、その怒りの感情だけは生々しく蘇る。
認知症の人を叱ってはいけないのは、その辺りの事情がある。

さて。
喜怒哀楽の中で、出来るだけプラスの感情を引き出すものに接したいものだ。
それが無理なら、マイナス感情を引き出さないよう、誘発危険ゾーンには近寄らない、気をつける。
あとは、自分の楽しかった思い出を少しずつ引っ張り出して、にやにやする。

わたしが1番楽しかったのは、18歳〜22歳。
この黄金の期間。
当時、まだ人生を20年ぐらいしか生きていないのに一生で1番楽しいと感じた。
なんて薔薇色の日々なんだろうと、きゃっきゃと喜んでいた。
暗い高校生活の後に訪れた、予想もしない楽しく弾む、夢のような時間。
だが、この薔薇色にも23歳頃には翳りが差していた。
いつまでも続くとは思わなかった、この竜宮城気分。
なんの努力もしないのに、何の優れたこともないのに、若いというだけで周りはチヤホヤしてくれた。
だが、喜びに頬を紅く染めながらも、わたしは若さによるチヤホヤは永遠に続くことはない、と、脳の隅っこで覚醒した目でじっと見ながら呟いていた。
自分の売りは若さしかないことを、自分は若い真っ盛りにいたにもかかわらず、当時の自分は1番よく知っていた。
若さは、良い意味でも悪い意味でも、破壊力がある。

若さを失った今は、若さの蓄えはないが、若さが変化した、発酵したかも知れない「元・若さ」がある。
「元・若さ」は、若くはない年齢=老齢。
が、伊達に歳は取ってない。
積み重ねられた年月は、皺だけでなく、機微や知恵がヒダになって折り重なっている。
つるんとした若さは、それはそれでツルツルピカピカして素晴らしい。
つるんとしない、元・若さも、捨てたものではない。
両方、貴重な年月である。

若い女性に世の中が甘い(特に男性は)のは、仕方ないかなあと思う。
自分だって若い時は、若いだけで思いっきりもてはやされ、優遇されたんだから。
順番、順送。
若い時にチヤホヤされなかった人は、それはそれで、また晩年、良いことがきっとあるはず。
いつの時期も、どんな時期も、絶対に濃密で自分らしく輝くはず。


忘れたことを忘れる

2024-02-10 | 老い
さて、これからどうしよう。
今日のことではない。
今後のビジョン、見通しである。
長期的な計画は立てられない。
せいぜい、中期的計画。
(人生の残り時間を考えると)
しかも、息をしていても、わたしのアタマがふやけている可能性があるので、脳みそが機能している間。
だとすると、またまた時間は狭まる。

最近、恐怖に襲われている。
恐らく、早かれ遅かれ、多くの高齢の方々が経験することだろう。
新しい自分に、恐れ慄く。
記憶力の著しい減退。
脳みそキャパ低下。
新しいことが覚えられない。
ほんの少し前のことも、えーっとぉ〜、と、一呼吸して脳みそをギュッと絞らなければ、なかなかすぐには思い出せない。
こんな直前のことも忘れる??と、ワナワナ愕然となる。
で、冷や汗をかきながら、どうにか思い出す。
どうしても思い出せない時は、スマホで調べて答えを見る。
スマホでは見つからない時は、数ヶ月経って、突然思い出して、気になっていたことの辻褄が合ったりする。
すーっと、解けて、溶ける。

例えば、アタマの隅に引っかかっていたキーワード、「小さなサイズのエコバッグ」。

なんだっけ? 
誰との話だっけ?
どういう関わりだっけ?

昨年末、気になりながら、年を越した。
年が明けて、次女が我が家に来た時、ミスタードーナツの景品を3種類、出して見せてくれた。
その中に、小さなサイズのエコバッグがあった。
あ、これだ!
これ、これ。
これが、引っかかっていたのだ。

年末に、娘たちとわたしのLINE話題の中で、ミスドの景品の話が、流れの中で、ちらっと出た。
別にどうってことなく、話は終わり、その後も何事もなく時は過ぎた。
ただ、小さなエコバッグ、いいなあ、欲しいなあと、その時のわたしの脳が隅っこで反応したようだ。
だが、それっきり話題にも上がらず、日常ルーティンに埋没し、脳を占めていた小さな引っかかりは、段々薄くなり消えてしまった。
消えているものの、何かを忘れた記憶はある。
問題は、何を忘れたか、忘れたこと。
探しようがない。厄介この上ない。
モヤモヤが残るのみ。

が、次女がうちに現れて、わたしがミスドの景品を目にした途端、モヤモヤが消えた。
やれやれ。
冷蔵庫内の探し物なら、場所は冷蔵庫内に限っているから食品に限定されるが、冷蔵庫以外の全般では、何を忘れたか忘れたなんて、探しようがない。
TVや映画の中のことだったりすると尚更。
全く困ったものだ。
だがしかし、偶然見つかって、ほっとしたものの、また明日にでも別の脳内での紛失探し物が湧き出てくるやも知れぬ。
息をするかのごとく、自然に物事を忘れる。
そして、忘れたことを忘れるのだろう。
自然の流れなら止めようがない。
ま、しかたない。