カミサマ
2024-02-22 | 家
昭和64年(平成元年)初頭から我が家に鎮座していたカミサマが昨日、復活、復旧した。
息を吹き返した、、、とまではいかない。
うちのカミサマ、2拝2拍手1拝、、、ではない。
2拍手1拝。本来の最初の2拝は割愛、省略。
拍手を伴う参拝は、1日最大1回のみ。
「通りすがりに何回も」は、NG。
カミサマ、なにしろサブ冷凍冷蔵庫の上の、さらにその上に置いた電子レンジの上に鎮座しているもので、何度も行来して日常生活に馴染んでいる場所。
そこに新しい人工榊が仲間に加わると、気になる箇所が増え、つい、親しみを覚える。
が、最初だけ、パンパンと柏手で拍手して、飽きたら知らん顔は、よろしくない。
あくまでも自主規制。
誰も知らないこのルールは、マイルールであり、なんの縛りない。
顔だけ昔から知っていた遠い親戚のような、旧友のお母さんのような、そういうかんじのカミサマと、「はじめまして、いえ、初めてではないですよね」というノリで、お友達になっていそうな気もするが、あまり深入りするとよくない。
カミサマを喜ばせるのはよいが、怒りを買ってはいけない。
カミサマは力があり威厳がある一方で、畏れがある。
サワラヌカミニタタリナシ、、、だが、この場合はちょっと傾向が違う。
ほどほどの距離感がよいのは、人間関係と同じ。
あまりにも心の底からどっぷりは、わたしの信条には合わない。
カミサマを何人も抱えて、一つのカミサマに依存せずリスク分散という手もあるが、わたしはしない。
しかし、このカミサマ。えらく高いところに鎮座している。
とても手が届かない。(言葉通り)
邪魔にはならないけれど、存在を忘れる。
場所としては方角を含め、設置人の姑のお眼鏡に適っている(はず、たぶん)。
今日は恐る恐るカミサマのお社(お家)をそっと開けてみた。
トントントンと扉をノックした。
が、なかなか開かない。
無理やり開けたら扉が壊れそう。
それはめんどくさすぎるので、そっと優しく扱った。
が、なかなか扉は固い。
扉を少し開けると、中に朱色のキンキラした布が見える。
それを取り出そうとするが、扉の金具が曲がりそう。
で、指先ではなく、頭を使うことにした。
よくよく見てみると、扉はかたちだけ、表面だけのお飾りで、扉が付いている板そのものを扉ごと外すようになっている。
シルバニアファミリーの二階建てのお家のよう。
外す時に、お社は、冷蔵庫の上、電子レンジの前に横たわらせる。
ちょっと、すみませんねーー、こんな場所で。
(こぼれているソースとか付着したらどうしよう、、、)
しかし、よく見るとなんと埃をかぶっていることか。
35年分の埃は、お社に降り積もる、まるで粉雪のよう。
風情があるなあ、、、などと感慨に耽っている場合ではない。
横たわったお社を横目に中から取り出した、神々しい物体をガン見する。
覆われている布は、よくお寺の中で見かけるような朱色に神々しい金糸の入ったもの。
その布をすぽっと外すと、中に何やら固いものが入っていた。
カミサマの名前が書かれた木札。(白木の位牌のように自立するスタンドタイプ)
社は二つあるので、カミサマも二つ。
別々のカミサマ。
二つとも知っている。
一つは夫の実家の地に古来からある氏神様。
もう一つは、40年以上前に一度姑たちと訪れたことがある、結構行きにくい地にある、知る人ぞ知る神社の神様。
なるほど、いかにも姑チョイスである。
自分が信仰している神様をセットアップ・パッキングしている。
神様たちは、お社に詰め込まれたまま、うちの古い前の家から新築の家へ、建て替え中は仮住まいの家へ、あっちに行ったりこっちに来たりと、待遇も足元も悪い中、連れて来られたわけだ。
しかも、さっき、初めて、それこそ、本当に初めて、対面した。
顔はなく、名前だけだが。
ようこそ、お疲れ様。
アラジンのランプから出てくる魔神みたいに急に偉そうぶるわけではないが、長い年月、大人しく誰からも知られることもなく鎮座していた。
なんだか、申し訳ない。
粉雪のごとく埃を積もらせてしまったが、なんでも雑菌にまみれるほうが逞しく育つ。
うちのカミサマも過酷な環境で逞しく生き残っていただく。
あまり手厚い、おもてなしは、しない。
カミサマにさえ、自然派を貫くなんて、カミサマもあきれていることだろう。
何も、特別に素晴らしいことを望み祈るわけではない。
ただじっとそこにいてくれるだけでよい。
ご利益も祈りやお祀りレベルに応じてであれば、ほぼご利益はない。
「今日も無事に生きてます」で、よい。
それぐらいは、望ませて欲しい。
それにしても、こんな話ばかり書いていたら、確実に蝶ブログ閲覧数はゼロになる日が来る。
記事はここで終われば良いものを蛇足は続く。
カミサマも苦笑していることだろう。
いや、カミサマは俗世界とは関係ないので、
カミサマの出番はそんなところに出てきてはいけない。
生きるか死ぬかの瀬戸際のみ、顔を出してくれたらそれでよい。
生命保険みたいなものか。
カミサマの名前を、生命保険会社の保険証書に置き変える?
不謹慎極まりない。
絶対にバチが当たる。
しかし、まだ、カミサマ以外にもホトケサマも、お世話している身。
姑が信心深いと何かと大変だ。
(とは言え、ほぼ何もしていない)