19世紀のヨーロッパ。
社交界、サロン文化華やかし頃。
美しい名門貴族の婦人や、煌びやかなブルジョワたち。
毎日、ブログ村エッセイのブロガーさんが、絵画と共に紹介されている。
うっとりするような優美な世界、芸術、、、。
なんだけど、、、貴族は職業は貴族、収入は貴族階級ならではの不労所得。
では、ブルジョワは?
似たようなもの。
では、中産階級は?労働者は?奴隷は?
実は今、読んでいるのが19世紀に奴隷だった少女のお話。
単行本で大手書店の目立つ場所で売られていた。
その本は「買って買って!」と言わんばかりにわたしの目を引き、買った。
生まれながらに貴族の女性と、生まれながらに奴隷の女性。
同じような時代。
この、奴隷の少女の本はまだ10分の1ぐらいしか読んでいない。
19世紀、自らの体験を綴った自伝、半生。
150年近く前に書かれたということと、著者は作家ではないこと、翻訳されていることで、読みにくい文章ではある。
それは致し方ない。
が、明治時代後半の日本を舞台にした小説「橋のない川」に共通するものがある。
不条理な差別と、自由のなさ。
平等と尊厳。
しかしまあ、かたやその一方で貴族文化や芸術をもてはやす。
芸術はパトロンがいないと成り立たないこともある。
ブルジョワがパトロンになるわけで、芸術を支える。
プロレタリア文学とかもあるが。
所詮、庶民、一般人であるわたしは、訳もわからず上っ面だけを見てキョロキョロするのみ。
深くは、わからない。
自分の感性に響くものだけに対して、きゃあきゃあいっているミーハー。
時折、頑張ってお勉強として知識を得ようとするが、感性はついていっていない。知識も根付かない。
(これは、あくまでわたし個人のことであり、皆さんのことではありません。と、変に先回り)
自分が好きなもの、良いと思うものに触れたらよいのでは。
例え理解なんかしなくても。
東洋趣味を、時代や国をごちゃごちゃにしている西洋人のように、西洋趣味をごちゃごちゃにしている日本人のようであっても、自分フィルターで寄せ集める分には良いのでは。
学会で発表したり、人に教えたりするわけではない、自分だけの世界に浸るには、何でもよい。
ただ、少し深く知ると、味わいも増す。
自分の熱意が、自分に返ってくる。
自分に対するご褒美。
断言するが、、、こういう中途半端な感覚は、絶対に、頷いたり賛同したり共鳴したりする人はいないだろう。
ほんとうに、自分だけの世界を愉しんでいる。