昨日は一日中、丸々、全く何もしなかった。
していたのは、息だけ。
ほんとうに、見事なまでに何もしなかった。
1ミリぐらいは動いたかも知れないが、トイレに行く時だけ。
入院中か、牢獄に入っているか、そんなかんじ。
晴れ晴れ良い天気、囚われるものもない、檻もない、身体も動く、病気でもない、目も見える、耳も聴こえるのに。
何もしなかったが、目や耳が生きているため、日中はFMラジオ(地元の局)を聴き、19時からはテレビを見た。
テレビは日曜日以外(平日)は、NHK専門。
ただし、日中は見ない。
19:00ニュース、19:30クローズアップ現代、20:00(昨夜は)解体キングダム(国宝の改修&大木伐採)、21:00ニュース、(いつもは)22:00NHK番組(だが、昨夜は21:00から夫にチャンネル権を献上)。
22:45連続夜ドラ、23:00からは日によっては10ch有働由美子さんのニュース番組、その後24:00ぐらいまでダラダラ。
一昨日は、寝る前の洗顔中に、背後からとても興味ある紹介(興味あるタレントと精神科医)が聞こえた。
NHK Eテレ番組「スイッチ インタビュー」に惹きつけられ、その後の「ニュー試」も引き続き見て、午前1:00過ぎまで見ていた。
その翌日である昨日は何も予定がないという日だったので、深夜番組を存分に気遣いなく見られる。
日によっては、19:00から23:30まで延々とテレビを見ているということになる。
完全に20年後の生活を早取りしている。
というか、このまま、だらだら20年歳を取っていけば、たいした変化もなくて、あわあわしなくて良いのかも知れない。
ただし、脳のネジは間違いなく緩む。
身体は歳相応に老化する。(これは抗えない)
ネジが緩むのに任せて、話し相手はテレビ。
それと、顔が見えないインターネット。
(なんでも良いが趣味を持つ必然性を強く感じる。
出来れば外の世界と繋がるもので、実際に身体を動かすものが望ましい)
20年後に、この蝶ブログ記事を読むわたし(87歳)は、どんな顔をしているだろう。
20年前に予想していた通りの生活をしていて、びっくりしていることだろう。
で、昨日の日中に聴いていたラジオの中身が全く思い出せない。
スピッツの曲が流れていたのは、アタマに残る。
昨日は、蝶ブログももう一つの趣味日記も書かなかったし、スマホで遊ぶことはあまりしなかった。
同じスマホでも、行政アンケートに答えたり、時間が余った時にやろうと思っていたことを暇に任せてしたり、スマホを離れ、紙(手書き日記など)と戯れた。
強いて言えば、半年分のクレジット決済のチェックをした。
たくさんのレシートが処分出来て、スッキリ。
だが、金融系も含め、スマホで処理しているため、チマチマして面倒。
他にもすべきことはたくさんある。のだが、気分に任せている。
あまりにも、気分に任せると、期限が過ぎて手遅れになり、自分が泣きを見る。
なので、少しは時々、タスク事項を見直さなければならない。
実は今は考えなければいけない案件を複数、抱えている。
時間が進むと、まだ考えがまとまらないまま、ブルドーザーに地ならしされてしまうように、建物を撤去されてしまうように、自分の想いが形になっていない状態で潰されてしまう。
それは避けたい。
昨日、日中、姪とLINEでやり取りする事項もあった。
姪を通じて、姪の夫ともやり取り。
なんだかんだと、時計の針は動きは遅いものの、確実に動いている。
もう一件、タスク(すべきこと)が、思い浮かんだ。
電話しなければ。
とかなんとか、何もしない、1ミリも動かない日は、部屋の中では動かないまま、容れ物(容器?船?)は動いているのだ。
だが、20年後もそう。
自分が入っている容れ物は、天国に向かって少しずつ動いている。
生き物である限り、突然、明日の命の保証は確定ではない。
でも、20年後の生きている自分を自然に想像できるのは、幸せだということだ。
蛇足。
最後の最後、19時からのニュース番組が始まるまでに、あまりにも時間が余り退屈してうんざりして、(18:45頃から)世界史の学習本の最初のページをめくった。15分眺めていただけ。
(いつも見出しと序章で終わる。)
この本は、何もすることがなくなった時の最後の砦。
わたしの子供が小学生低学年の時に、子供のために買ったシリーズ。
まだまだいっぱい色々あるので、究極の暇つぶしは出来そうだが、まだ他にも別のジャンル(家庭科、音楽、美術、書道)の暇つぶしも隠し持っている。
だが、意外にそういうところから、夢中になる楽しみを見つけることがある。
残念ながら、体育は好きでないので、頑張って自分に鞭打っているところがある。
※写真は、ホンモノのバイオリンやピアノを用いた自動演奏機。
古いヨーロッパ製??
音はデジタルではなく、生演奏、ホンモノ。