蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

たかが呼び名、されど呼び名

2024-07-11 | 無題
夫はわたしのことを「おかあさん」と呼ぶ。
は?
わたしには、こんな歳上の息子はいませんが。
子供にとって、おかあさんは母親である。
夫にとって、おかあさんはわたしではなく、姑(故人)である。
いったい、いつまでわたしは、おかあさんなのだ?

娘たちには、わたしは、おかあさんと呼ばれる。
わたしは娘たちの母親なので、ツジツマが合う。
死ぬまで、いや、死んでからも、わたしは、生物的な遺伝子関係は、子供たちのおかあさんである。
にもかかわらず、、、
なんでわたしが、夫に「おかあさん」と呼ばれなければならない?

よく街で、そこのおにいさん、おねえさん、という声を聞く。
当然、姉妹でも、兄弟でもないのはわかった上での、若い人に対する呼びかけ総称のようなもの。
おとうさん、ご主人、おかあさん、奥さん、と、お店などではお客さんに対して呼ばれているのを聞く。
ある程度の年齢になると、そう呼ばれる。
おじいちゃん、おばあちゃん、という声もあるが、おじいさん、おばあさん、とは街ではあまり呼ばれないように感じる。

小さい子供に呼びかける時は、ぼく、わたし、なんていう声もある。
名前がわからないので、年齢、性別から見た呼びかけの一般的名称だ。

ちなみに、わたしは、大手チェーンのダ◯コク薬局の老薬剤師さんに、「奥さん」と呼ばれる。
難はないが、独身の可能性もあるのに。

話を戻す。
一般的な場合は置いておいて、
自分の家庭で自分の夫に、おかあさんと呼ばれるのに違和感がある。
「違和感」という、意識的にトゲがない表現にしている。
本音としては「不快感」である。
もうとっくに、おかあさんの役割は終わっている。
どうしても家庭のポジションを表現したいなら、おばあさん、である。
だが、夫に、おばあさん、と言われるとその瞬間、わたしのアタマから湯気が出る。
誰が、おばあさんやねん!!
あきらかに因縁、イチャモン、筋の通らないクレームである。
じゃあ、なんと呼べばよい?

最近、おかあさん、と呼ばれた後の、わたしの不機嫌ぶりに恐れをなして、夫はその場だけ別の呼び方にするが、時間が経つとまた、おかあさんになっている。
まったく学習能力がない。
その度に不機嫌、不愉快、嫌な気持ちになる。

おかあさん、が、なぜ、そんなに嫌なのか。
時代が変わり、役割も変わり、状況も気持ちも変わっているのに、全く厭わず、考え方を更新しない姿勢にムカつく。
変わらないのは貴方だけ。
普遍のものには、不動だと信じて疑わないのだろうけれど。
貴方だけがそう思っている。
貴方以外は、どんどん変わっている。

良いものが変わらないのはウェルカムだし、試行錯誤を重ねて改善されるのは結構なことである。
だが、時代や周りに対応出来ないカチンコチン石アタマだったりすると、柔軟性の無さにヘキヘキする。
家族は、石アタマを石として扱う。

石は石として、それはそれで存在する権利がある。
存在価値を否定することは、いかなる人に対しても出来ない。