シニア男性が後悔していること、、、WEBアンケート結果が、いつも読むブログで紹介されていた。
後悔面だけを切り取って抽出されているため、良かったことや感謝していることは、またこれとは別に存在すると思われる。
シニア女性が後悔していることも以前に読んだような気がするが、仕事面での後悔は男性のほうが多くを占める。
後悔の理由は、時間、労力、お金の無駄だった、徒労に終わった、というものが多い。
その間は一生懸命、頑張って取り組んでいたが、振り返ると、意味がなかった、ということか。
おそらく、嫌で苦しかったが、したくない思いに逆らって無理して自分を叱咤激励して行動したのに、その頑張りは成果はゼロ、むしろマイナス、ということに対して、自分が納得できないのだろう。
腹立たしい思いが残る。
人生で損をした部分、しなくてもいい辛酸を舐めた、ということか。
苦労は買ってでもしろ、とよく言われるが、買ってまでしたくない。
たまたま、したくない苦労をともなうことが降りかかってきたら、じっと静かに最低限しか動かず行き過ぎるのを待つとエネルギー損失を最小限に食い止められる。
わたしは、いつもその方針。
実家にいた頃、鬼のようになって荒れ狂う母を前に、頭を低くして胸の中で数をカウントして、時が過ぎるのを待った。
晴れの日も、曇りも雨も台風の日もある。
今、思えば、母は、おそらく若い頃は躁鬱症傾向にあったのではなかろうか。
その若い母に育てられたなら、理不尽な雨風、嵐には相当慣れている。
抗体ができたようだ。
小さい時に大変な思いをしていると、それからの人生は、晴れ!!
日本ではわたしが生まれてからは戦争も起こらなかったし。
無駄なことなど何もないと考える。
嫌なことがあったり、嫌な人がいたり、嫌な局面に立っても、それが過ぎた後の、あの快晴、爽やか気分が待っている。
嵐の前の静けさ→嵐→台風一過
だが、嫌なことが通り過ぎるまでじっと我慢して待つ時間が、人生の大半を占めるとすると、、、
その先に何があるのか想像できないので、自分の未来がどんな展開になるのか、楽しみにしていくのも一案である。
周りに多大な迷惑をかけ、ものすごく嫌われている人がいた。
どうしようもない人だったが、一つだけ、貢献したことがある。
それは、その人が他界していなくなった時に、周りに喜びをもたらした。
これだけでも、存在意義がある。
そういう人、いる。実際に。
本人は周りのことなど考えず、忖度せずに辛抱せずに自由に生きていた。
自分はそれで、幸せ、満足な一生だと思う。
1粒で2度美味しいグ◯コのアーモンドキャラメルように(軽く半世紀以上前の)、本人がいなくなってから周りに幸せをもたらすなんて、それはそれでプラス効果だ。
後悔は、「後になって悔やむ」、と書く。
文字どおり。
あの時ああしていたら、、、
その逆もある。
あの時、ああしなくてよかった、、、
したらよかったことと、しなくてよかったことは、半々ではないだろうか。
足して引いて差し引きゼロ。
相殺(そうさい)。
一般的には、人生を振り返ると、「して悔やむより、しなかったことを悔やむ」と言われるようだが。
ケースバイケース。
何がよくて、何がよくないのか、やってみないとわからない。
だが、わたしの場合、人生も終わりのほうに近づくと、何もないのが幸せと感じる。
だがしかし。
今まで書いてきたことは一体なんだったのかと、お叱りを受けそうだが、、、
わたしが後悔することは、、、
◯◯さんと結婚していたら良かった。
だが、おそらく今とたいして変わらないことになっていただろう。
わたしが良かったと思うことは、△△さんと結婚しなくて良かった。
たぶん、これは予想通りになっていると思う。
わたしは、自分を幸せにする無意識な選択が、たまたまうまく行っている。
(とは言え、熟考するが迷ってわからなくなって、最後に決める時は、目をつぶって、えい、やっ、と、感覚、感性で)
だが、成功経験に溺れると、正しい状況把握が出来ず、次の選択を誤る。
とかなんとか、結果に合わせて自分を納得させているだけかも知れない。
初めからあまり期待しない。
鶏が先か、卵が先か。
どっちでもいい。