次女に言われた。
「おかあさん(わたし)は、自分自身の力で稼げるお金と、自由にできるお金に差がある」と。
「世の中にはいろんな集団があり、その集団内でどうこう言っても始まらない」と。
ハッとした、、、わけではない。
ホッとした。
なぜなら、、、あらまあ、わかってるじゃないか、この子。
40歳を目前にして、もう大人、真っ最中。
わたしは、ダラダラベラベラどうでもよいことは話すが、あまり真髄的なことは言わない。
つまり本質は語らない。
自分の胸の中にしまっているということだ。
というつもりだったが、実はダダ漏れだったかも知れない。
本音を喋りまくっていたのだろう。
実は(、、、またまたこういう演出的文言)、姑とは、本音そのもので話していた。
なぜなら、わたしたちは、同志であり、同じ方向を見て協力し合い、努力していたから。
お互いの欠点をちくりちくり責めあったとしても、ものごとを進行するにあたって、改善するためならいざ知らず、ただただ自分の感性や好みでバトルしても、目標に到達する時刻が遅くなるだけ。
無駄。
俯瞰的に見て、本筋から逸れていることに対して時間やエネルギーを割くのはタイムパフォーマンスがよろしくない。
なので、立場は序列や年齢は違っても、ほぼ戦友のようなかんじだった。
先代の姑と、姑も、2人で力を合わせて同じ方を見て頑張ってきた。
とは言え、時代は進み、移り変わる。
また違う新しい価値観が生まれる。
が、底流にあるものは繋がっているように感じる。
時代遅れの本音を聞かされ続けていたわたしの娘たちは、ある意味かわいそうでもあるが、自立していく上では、よいスパイス、刺激になっていると思う。
反面教師でもよい。
次世代への何かしらの叩き台になっている。
次女は、姑(次女にとっては父方祖母)に、色々教わっていた。
わたしが知らないことも教育してもらえて、大変助かった。
自分が足りない面は、人の力を借りるというのは、とても良いことだと思う。
分かち合ったのはDNAだけでなく、それぞれが持っている力を集結させて繋いでいく。
その次女に、本質を見抜かれ、ぼそっと一言、言われるようになった。
わたしも歳を取ったものだ。
すっかりもうお役目は終了したと感じた。
後は、ニコニコ前を向いて、静かにじわじわ後退していく時期だ。