蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

トラウマを思い出した

2023-03-15 | 日々のこと
別SNSで思いを吐いたら、ああスッキリ。
蝶ブログは孤独との闘いだから、モチベーションがかなり必要だ。
でも、細くても長い長い間に培われた絆があると信じている。
ふと、あんなこと、こんなこと、海を渡って親子リレーの品を手渡されたり、時の経過も含めて、いろんなことを思い出すこともあり、やはり一生ものの心の玉手箱となっている。

ちなみに、前回の自己肯定感の強いシニア女性。
地元ではパソコンのお師匠さんで(本人曰く)、地域の人にも教えていたんだそうだ。
わたしのような、ちんぷんかんぷん人間と同じように考えてはいけない、、、にしても、
スマホアプリだのは、日々、変化しているので、アプリ提供サイドの事情もあったりして、利用者サイドだけの技量ではどうにもならないことがある。
そのあたり、まだ見ぬ敵にさえ簡単に軽く打ち勝つ自信は、どこから湧き出て来るのか。
巨大なるクレーマーになったりして。
そっち(アプリ提供者)が、悪い!と。

現にスマホ買い替えの時に、担当の若いお兄さんがアタマが悪くて時間を取られてとても困った、とそのシニア女性は言い放っている。
ご自分は完璧の姿勢は絶対に崩さない。

ある別の人。
スマホ店の担当者に、説明の矛盾点を確認したら「あ、この話し、(あなたには)難しかったですかね〜」と言われて、めちゃくちゃ怒っていたそうだ。
わたしも、スマホ買い替えの時の担当の若いお姉さんに、著しく侮蔑され、イラつかれ、屈辱気分をたっぷり味わい、トラウマになった経験あり。
後で娘婿に愚痴ると、「担当者も経験不足、知識不足だと思います」と慰めてくれた。
なんと優しい、よくデキたお婿さん。

それにしても、老人イジメではなかろうかと、悔し涙を流している人もいる傍らで、やりもしないで声高らかに、「アナログの不便さが大好き」だと言う、この方のこの性格。
今後のこともあるし、ご家族の皆さん、さぞや大変だろう。

が、自分の身を守るのは自分。
これぐらいパワフルでなければ、今後の高齢化社会、やっていけないのかも知れない。



負けず嫌いで過大評価

2023-03-13 | 老い
別SNSの人。
ガラケーからスマホに替えたらしい。
技術職でもない、リタイアされて結構経つシニア女性。
スマホは画面が小さいから、タブレットを活用するとのこと。
スマホはすぐ簡単に使いこなせるようになると思うが、自分はアナログが好きなので、面倒な操作は全てご主人に任せているそうだ。

この書き方に、わたしはカチンと来た。
本当にすぐに出来るのか?
面倒だからと、やらされるご主人が気の毒。
マイナポイントもスマホ申請はしていないらしい。
全てご主人に押し付けて、「アタシはカードを使うだけ」と仰る。
しかも、その人は「アタシは、やろうと思えば勘がよく飲み込みや理解が速いので、即、出来るけど、しないだけ」だそうだ。

すごい自信。
やりもしないで、やればすぐ出来るそうだ。
普通の人は、仕事から離れ、70歳を超えると結構、頭は硬くなっている。
現役時代、天才、秀才の人も新しい技術には四苦八苦している。
その代わり、小さい子供のほうがスイスイ、先入観なく使いこなせる。
普通の人はそういう脳の変化が現れ、柔軟性が減少してきている。
にもかかわらず、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなら別だろうけれど、年配者には未踏の分野でもあり、やりもしないで、不便なアナログが好きだから、敢えて「簡単にパパッと出来るけれど、夫に任せて」いる、と、豪語される。
なんだか、この人、もう確実に老化の波が訪れていると感じる。
現状を理解せず、思い込みだけで自信満々。
前と全く同じ高さに足が上がると思い込み、階段の段差で蹴つまずいたりする。
通信分野のプロの若い人でも、最初は手間取り、四苦八苦していた、、、。
神業のすごい女性なの?
とは、思えない。

ああ、こういう、自分のことを過大評価している人って、、、なんだかなあ、、、
つ、つ、つ、、、と、わたしは静かに笑顔で後退し、距離を取った。
自己肯定感、半端なく強すぎ。
イタイと感じた。


ミステリー

2023-03-11 | 日々のこと
10年近く前からインターネット上でやり取りしている人物と、直にリアルで対面することになった。
先方は、インターネットでご自分の動画を度度アップされているので良いが、わたしは覆面のまま、10年が過ぎている。
今回はわたしが、その人に初めの第一声をかけることになる。
なぜなら、わたしはその人の顔を知っているが、その人はわたしの顔を知らない。

なんだか、お見合いみたいだ。
まず、女性に男性の写真付きプロフィールを見せる。
それでオッケーなら選択のテーブルに乗る。
女性が男性を断る確率が高いらしく、そのほうが、カップル成立率が高いそうだ。

今回はお見合いではない。
マッチングでもない。
わたしはその人物の動画を長年にわたり、何回も見ている。
が、相手はわたしの外見の予備知識ゼロ。
知っているのは、突き放したような毒舌のみ。

わたしは見かけと中身が違うが、別にそれがどうした?という気持ち。
外側からイメージする中身などは、見る人が勝手に想像して作り上げたものに過ぎない。
かつて、同じようなシチュエーションがあったが、見事に外見は何の意味もなさなかった。
かれこれ10年以上前のこと。

外見に対する話は一切出なかった。
あまり関係なかったんだろう。
それはそれで不思議なような気もするが。
内面だけのつながりだったので、外見は、ついで、オマケだったような気がする。
この人とは多分、一生のお付き合いになるだろう。
と言っても、会ったり、面と向かってやり取りしたりしない。
遠くから(インターネットで)無事を確認するだけ。

さて、今回は?

外見なんかどうでもいいじゃない?と、クールなわたしだが、第一印象を重んじる。
これは、要。
後は第一印象通りなのか、徐々に剥がれていくのか追加されるのか。
加算法か、減点法か。
(良い意味でも悪い意味でも)期待を裏切るその一瞬は、スリリングである。
ミステリーは最初だけ。 
現実があるのみ。

老化して外見に自信がなくなった分、中身で勝負。
だが、中身も認知症気味だとすると、、、どこで勝負するのか?
今日という日は2度と来ない。
今更見栄を張ってもしかたない。
自然、成り行きに任せる。



ライバル

2023-03-11 | 日々のこと
「わたしに、わかるように説明して!」

5歳女児I(3番目孫)に、しくしく泣かれた。
 
そうだよね。
大人はわかっても5歳女児にはわからない。

何回、説明しても
「そういうことじゃなくて!」を繰り返す彼女。
「どこがわからないの?」
と聞いたら
「知らない言葉が出てくる」
と返事。

なるほど、そうか。

保育所で、きゅうりを作るので、作り方を調べてくるように、と先生に言われたらしい。
それで、きゅうりの栽培の仕方を説明したが、口ではダメ、絵でもダメ、インターネット引用でもダメ、、、
あたまから聞く耳を持たない。
ツルや新芽や、植物の用語を使ったから、拒絶反応を示されたようだ。
たぶん、自分がわからないことを準備して来いと先生に言われ、プレッシャーでパニックに陥っているのだろう。

2番目孫K(小2男児)なら、全く先生の言うことなど気にも留めず、聞いていないだろう。
きゅうりを作るその瞬間になっても、前に言われていたことも、予め予習的知識なども、まるで頭に無いだろう。
説明書を読まないタイプ。
きょうだいでも、いろいろ。

3番目孫Iは、へんにこだわりが強く、真面目なところがある。
全力投球タイプ。
自分がやりたいこと(たとえば、思い通りの絵での写実描写)が出来ない時の逆噴射エネルギーはすごい。
何度も練習するが、描きたいように描けない。
絵やお手紙も一生懸命書くのだが、まだ文字は鏡文字(反対向き)がちらほら。
1番上の電車オタク兄ちゃんY(小4)は、絵や文字そのものを小さい頃は書かなかったから、文字がちゃんと書けてない時期がなかった。
彼は絵を描くと、ずっこけるぐらい、ありえなく下手。
興味は電車一本槍なため、その関係で地理、社会科全般は得意。
2番目孫K(小2)は、文字は書いていたが、迷路などを描いていたり、家にある材料で工作をしていた。
女児孫たち(2歳と5歳)の共通点は、言葉が完璧なこと。
2番目孫Kは、へんな外人カタコトだったが、女児たちは、その時期が全くなく、いきなりパーフェクト日本語。
どこの大人がしゃべっているのかと思う、紙おしめ女児。
関西弁も完璧。
最近は、「オーマイガー」などとオプションを追加。
女児と男児の違いか?性質の違いか?

じつに面白いものだ。

だが、大人にもあり得る、「わからないことが、どこがわからないのかわからない」「わからないことが出来ない」「やりたいが、出来ない」
そういうモヤモヤ過程がとても手に取るようによくわかる。
ちょうど、これからのわたしの逆、推移を見るようだ。

わからないことをわかろうとする意欲をうまく道に乗せて導くと、滑り進んでいく。
これは、わたしも初めての分野(趣味分野)でそういう思い、経験をしている。
これもまた、成長過程を孫たちと共にしている。

いくつになっても、やりたいことが出来るように、自分を奮い立たせ努力するのは良いことだと感じる。
孫にはあっと言う間に追い越されるが、それも道。
孫と競争はもう無理だけど、良きライバルだ。




毒無しはインパクト無し

2023-03-06 | ブログ
わたしの何の役にも立たない独り言にお付き合いいただき、ありがとうございます。
お役立ち生情報もなければ、ナビゲートもなければ、解説もなし。
あるのは個人的解釈と一方的な感想のみ。
これで面白いわけがない。
まあそれはそれとして。

ちなみに、わたしの売りは毒舌。
斬られて快感を味わう人もいる。
ひと(他人)のことアルアルで、自分のこととは思っていないようだが、実際のところは、斬られているのは当人も含まれていることが多々ある。
わたしは自分を斬るついでに、他人ごとごっそり斬ってしまうことがあるので、言葉には注意しなければならない。
言葉に細心の注意を払った途端に、切れ味の悪い、誰も傷つけない代わり、何の印象にも残らない、つまらないブログになる。
みんな幸せで良かったね、というスタンスのブログは、書いていてこころの底から満足しているかというと、そうでもない。
ほんとは言いたいけれど、自分では言えないことを代わりにわたしがズバッと言うと、スッキリして爽快な気分になる、と他のSNS日記で感想を言われたことがある。
そのSNS日記は閲覧数は少なくないのは、そういった毒舌のせいだと思われる。

最近、わたしは、人のこと言えないよね、という自覚があり、あまり毒を吐けない。
飲み込んでしまう。
だから面白くない。
めちゃくちゃキツイことや失礼なことをおもいっきり思っているが、わたしのどの口が言う?と、さすがに胸の内を打ち明けるのは躊躇われる。
で、言わない。
で、中途半端になる。
最初はとんがっていて覇気があったのに、幸せになってしまって面白くなくなった女芸人みたいで、生気がない。
やはり、記事にするには緊張感、張り詰めるものは必要だ。
が、どよ〜んとしている。

さて。
今からワンオペで4人の孫たちを、お迎え、お泊まり、明日の朝まで、保育所、小学校へ送り出し任務あり。
ああ、しんど。



100のやりたいことリスト

2023-03-04 | わたし
若いっていいなあ。
枯れ気味のわたし。
顔の皺が深いが、年相応。
美容整形する気なし。

料理家の栗原はるみさんが、昨夜、Eテレ(NHK教育TV)に出ていた。
夫の栗原玲児さんが亡くなって4年。
何をするにも一緒だった夫亡き後は、落ち込みが激しかったとのこと。
そこに息子さんが「100のやりたいこと」を書き出してくれたらサポートするよ、との提案をしてくれたらしい。
良い息子さんだ。
75歳の栗原さんの残り時間は、若い人より短い。
何がしたいのか、、、自分と向き合う。
最初は50個ぐらいしか思いつかなかったそうだ。

さて、わたし。 
100のしたいこと、、、何だろう?
ふと考えた。
ふと考えても思いつかない。
なので、じっくりしっかり考えた。

わたしは別に何のプロでもないし、キャリアもない。 
得意分野もない。
さらに承認欲求がない。
しかも最近は枯れ気味。
そして、子供や孫の生活には口出ししない主義。
友達は極端に少ない、非社交家。
目立つのが大嫌いな、消極的で大人しい性質。
食べ物にはほぼこだわらない。
が、不味いものは不味いと感じるし、美味しいものは美味しいと感じる。
良いものは良いと感じるし、良くないものは良くないと感じる。 
自分なりの基準もある。

さて、何がしたいか??
ファッション、美容、、、は、卒業。
グルメ、旅、芸術系娯楽など、、、は、そこそこ好きにやってきた。
趣味のダンスは邁進中。
時々単発で突然、孫守りミッションが舞い込んで来る。
(両親が共働きのため)
身軽な身にしておかないと、ミッションは果たせない。
自発的にしたいことはほとんどなく、周りの人々のしたいことに誘われて付き合うことになる。
受け身ではあるが、声をかけられ一緒に行おうとリクエストされると引き受けていたら時間がすぐに経つ。
天国に行くまでの待ち時間のようなかんじか。

無理やり、やりたいことを考えるなら、
孫との旅行か。
女子チームと男子チームは行き先やテイストが違ってくるだろう。
女子チーム3人は、旅行に行く時は孫たちは10代後半から20代前半。
男子チームも、やはり同じ頃。
つまり、今から10〜15年後。
ばあちゃんの冥土の土産旅行に付き合ってもらう。
わたしは旅行が、健康で不安なく楽しめる、最後あたりの年齢か。
一緒に行く最後の旅行の前に、孫たちが小さい時代に思い出を重ねておきたい。

あ、やりたいことが閃いた。
今、この時間を大切に過ごしたいこと。
自分本位で時間を使うこと。
お世話するのも思い出を積み重ねる一環である。
なにも将来のために今、恩を売っておくとかのためではなく、
そのうち、お世話される側に転じた時に、後悔がないように。
自分が出来る間に、自分の出来ることをしたい。
自分がそうしたいから。
そう考えると、今、一瞬一瞬が大事。

自分がしたいことは、突然浮かんで来る。
その時に、思い浮かんだことが出来るよう、常に身軽でいたいなあと。
重いものを背負わず、一日一日をあっさり行きたい。
自然体で行きたい。
50個も100個も、やりたいことは浮かばない。
が、毎日、淡々と過ごし、その時その時にやりたいと思ったことが出来る、そういう毎日を送ることが、やりたいことかなあと。

具体的なあれこれは、思い浮かばない。
しかし、計画しないと実行できない。
今はまだ計画といっても、ミニミニ旅行ぐらい。
だが、具体的には動いていない。
今が楽しいので、このままキープできたら良いが、そういうわけにはいかない。
それを思うと、少しブルーになる。

それとは別に、実は、こころに秘めたやりたいことがある。
文字にしてしまうと、あっけなく、小さな小さな思いなので、あえて書かない。
何も隠す必要もないのに肝心な部分がこんなだから、わたしのブログはスカみたいで面白くない。



退屈しのぎ

2023-03-03 | わたし
なんのためにブログを書くのか、目的を見失いかけている。
でも書く。
電車内移動が退屈すぎて。

わたしの日常には楽しいこと、微笑ましいことがたくさんある。
平和で幸せな日々。
題材、テーマ、モチーフはいっぱい転がっているのだが、書く気がしない。
ほら、自慢、見栄ではない。
気に入らないわけでもないし、不貞腐れているわけでもないし、そっぽを向いてシラケているわけでもない。
一瞬一瞬は喜びに溢れ興奮して幸せを噛み締めているのだが、書く素材としては筆が動かない。
(気が向いたら書きます)
たぶん、読む方々とはシェアできないと思う。
ペットでも飼っていればまた共通点があるのだろうけれど。
あいにく、世話をしなければならないものは生きている人間だけで十分。
それ以上のお世話は負荷オーバーで無理。
なので、ペットロスにはならない代わり、ペットからの癒しも享受できない。

わたしは、いつもニュートラルのところに帰って来たい。
真ん中よりどちらかに重心が片寄ると不具合を感じる。
真ん中が良い。
真ん中を心掛けてバランスを取る。

とか言いながら、気分屋なので、「なぜ、そんなことをする?」と詰め寄られても説明できない。
理屈が通らないことが多々ある。
だが、偶然からのひょんな発見もあり、悪いことばかりではない。

具体的な内容を書かないブログには感情移入できない。
当たり前のことだ。

明日も往復5時間以上の場所にある実家めぐり。
姉と待ち合わせして、母と兄に会いに行く。
朝が早い。
冬は布団の枕元にその日着る服を用意して、布団の中から手を伸ばし、少しずつ引っ張り込んで着る。
いつもは出かける前にお風呂に入るのだが、あまりにも朝が早い場合は、お風呂タイムを割愛。
沸かすのに30分、入るのに30分、合計1時間の時間節約。
少しでも長く、ぬくぬく布団の中に居たい。
スマホでアラーム目覚ましを少し早めの時刻にセットして、何度もスヌーズボタンを押し消してはまた鳴り、押し消してはまた鳴り。
何度も何度も。なかなか起きない。起きられない。

そう言えば、学生の頃、朝起きるのが辛くて辛くて、一日も早く卒業したかった。
結局、早起き義務はその後も続き、リタイアするまで続いた。
今は、予定のない日は思いっきり寝る。
これが楽しみ。
が、寝るのにも体力がいる。
あまりにも長い時間寝ると疲れる。
と、勝手なことを言う。

睡眠障害に悩まされたことはないが、悩むとすると寝過ぎか。
若い頃から眠くて眠くて辛い。
これも、一種の脳の病気か?
が、受診したり薬を飲むには至らない。
いつも脳が休憩を求める、のんびりサボリ病だろう。
頭を使うと甘いものを脳が欲する、と言われるが、わたしは脳を使って甘いものを欲したためしがない。
きっと、ちゃんと使ってないのだろう。
出し惜しみしているつもりでも、じつは、空っぽなのだ。
悩みの渦に溺れることなく、軽くて快適ではある。

さて、明日は往復5時間もスマホ遊びが出来るだろうか。 
そういう時に限って何も書くことがなかったりする。




色情系は生々しい

2023-03-01 | 老い
どうもわたしは、平均的なシニアではないようだ。
平均的なブロガーでもないようだ。
平均って?
自分は自分。
他と比較しても意味がない。
イイね!をいただいても、礼を尽くさない、営業をしないのが、悪いかも知れない。
これは結構そう思う。
愛想なし。

さて。
何を書こうか。
わたしが興味あることは、平均的ではないようだ。
わたしは少し趣味が高尚かも知れない。
いや、そんなことはない。
俗世間とは一線を画する?
うーん、どうだか、、、。
かなり下世話な面もある。

最近、吐きたい毒がない。
自慢したいこともない。
強いて言えば、瞬発力タイプではないわたしは、じわ〜っと時間がズレて遅れて、過去から続けていたことの結果が出てきている。
10年目だったり。
スパンが長い。

ぱっと見てキラキラ眩しかったりしない、わたしのやっていることが地味すぎて、忘れた頃に反応、影響がある。
持久戦向けのようだ。
若い頃は報われないタイプ。
まあそれはそれ。

ちなみに。
認知症になると、それまで抑圧していたことが噴出することがあるらしい。
「色ボケ」なんていう、すごい言葉がある。
ものすごく上品で良家のご婦人で、良妻賢母で、、、そんな人が、おばあちゃんになってからの言語行動が、それまでとは真逆で驚愕することがあるとか。
聞くに耐えない。
お嫁さんが恥ずかしがって、人にも言えない、という話を聞いたことがある。
よほど、抑圧してたんだろう。
気の毒に。

わたしも実際に、病院の待合室で、見ず知らずのおばあさんが、すっとんきょうなことを言っているのを目の前で聞いたことがある。
はあ???と、首を傾げるというか、開いた口が塞がらなかった。
当時はそれも病気の一種だとは知らなかったので、ただただ不思議に思っただけだった。
シワシワの、誰がどう見ても高齢のお婆さんなのだが、、、
本人が言うには、「若い(素敵な)医師がわたしに、いやらしいこと(セクハラ)をする」んだそうだ。
どう見ても、どう考えても、そういう状況の気配は見当たらなかった。
老婆フェチなんていうジャンルの変態の一種があるのか?
聞いたことがない。
(枯専女子や肥満フェチ男性は存在するようだが)
家のお嫁さんが姑さんの病状を恥ずかしがるのならまだしも、全くの他人だと複雑なものがある。
見なかったこと、聞かなかったこと、なかったこととして、騒がずリアクションせず、そっとやりすごす。

おばあさんのタイプによっては、色ボケとは違う分野の作り話をするケースがある。
若い頃の武勇伝をまだ付き合って間がない人(例えば結婚したばかりの孫の嫁)に、延々と話す。
が、横で苦笑いの還暦を過ぎた実の子供。
「おばあちゃんにはそんな事実は無いのよ。
自分で信じて話を盛るの」と後でそっと新人嫁におばあさんの「盛り癖」を打ち明ける。
古い家族、皆はもう知っている。
だが、笑ながら皆んなそっとしておく。
武勇伝ならまだ勇ましくて良いが、色系はどうも聞くに耐えられない。
まあしかたない。

昔できなかったこと、憧れていたこと、抑圧されていたことが理性のタガが消滅した後に出るのか。
あるいは、昔ルーティーンワークで行っていたことを急に脈略なく、し始める人もいる。
突然、仕事に行く、と家を出たり、
子供を迎えに行く、と言ったり、
ご飯の支度をし始めたり。
脳に強烈にインプットされていることが、突然、何かの接触によって稼働するのだろう。

温和な人が怒り出すこともあり、こうなると、昔との因果関係はもはや関係なくなる。
脳は本人の意思とは裏腹に、制御できなくなるようだ。

それとは別に、戦争や災害でこころを病むことがある。
幼い子供だと尚更深刻だ。
カウンセリングが必要で、自力で治癒は困難だ。
穏やかな毎日を安らいだ気持ちで過ごせることは本当に有難い。