『ホドロフスキーのDUNE』(原題:Jodorowsky's Dune)
監督:フランク・パヴィッチ
出演:アレハンドロ・ホドロフスキー,ミシェル・セドゥ,H・R・ギーガー,クリス・フォス,
ブロンティス・ホドロフスキー,ニコラス・ウィンディング・レフン,リチャード・スタンリー他
前述の『人生はマラソンだ!』とハシゴ。
同じくシネリーブル梅田の同じスクリーンの同じ座席にて(笑)。
どうしても観たかった本作を劇場で観ることができました。
チリ出身のアレハンドロ・ホドロフスキー監督、85歳。
長編映画デビュー作『ファンド・アンド・リス』(1967)がアカプルコ映画祭で上映されたときには、
あまりのイカレっぷりに暴動が起きたという鬼才。
その後、アメリカのミニシアターで深夜上映された『エル・トポ』(1969)が大評判となり、
『ホーリー・マウンテン』(1973)も続いてカルト人気を博します。
プロデューサーのミシェル・セドゥから次作について尋ねられ、
ホドロフスキーはフランク・ハーバートのSF小説『DUNE』を撮りたいと答えます。
大作『DUNE』に向けて一大プロジェクトを立ち上げると、
ホドロフスキーは人材の選定に取りかかりました。
彼が声をかけたのは、H・R・ギーガー、クリス・フォス、メビウス、ダン・オバノンなどなど、
この辺り、私たちが聞いてもピンと来ない名前ではありますが、
後の“エイリアン”シリーズのデザイナーや脚本家とわかれば、なるほど~。
『DUNE』のキャラクターや建造物および宇宙船のデザインを彼らが担当。
音楽を担当する事になったのはピンク・フロイド。
出演者に並ぶのは、サルバドール・ダリ、ミック・ジャガー、ウド・キア、
オーソン・ウェルズ、デヴィッド・キャラダインという錚々たる顔ぶれ。
各界のトップアーティストたちの集結は大いなる注目を集めますが、
ハリウッドは企画自体には惹かれながらも
ホドロフスキーがメガホンを取ることを良しとしません。
なにしろ『ホーリー・マウンテン』は糞を黄金に変える錬金術師の話でしたから、
何をやらかすかわからない危険な監督だと思われたとしても不思議はなかったか。
結局、どこからも資金が提供されることはなく、撮影は頓挫。
映画史上もっとも有名な「実現しなかった映画」が『DUNE』でした。
ホドロスキーのファンで、まだ若き監督であるフランク・パヴィッチ。
彼は実現しなかった『DUNE』の話を知り、ドキュメンタリーを撮ろうと考えます。
ホドロフスキー本人はもちろんのこと、当時の関係者や経緯を知る人物、
プロジェクトのメンバーだった人物、映画評論家などなどの証言がてんこ盛り。
あんなメンバーを集めておいて、いくらかかると思っているのか、
実現なんてするわけがないと思っていた人が多かったことでしょう。
頓挫してそれ見たことかと笑った人もいたことでしょう。
他人が見ればばかばかしい夢物語だったかもしれない。
けれど、それでもいいじゃないかと語るホドロフスキー。
見かけは失敗だったとしても、『DUNE』のプロジェクトの中から生まれたものたち。
それは後の映画に多大な影響を与えています。
『スター・ウォーズ』(1977)然り、『エイリアン』(1979)、『フラッシュ・ゴードン』(1980)然り。
クリス・フォスが「あのプロジェクトの仕事が今でも私の誇り」と話していたのが印象に残りました。
自分は『DUNE』映像化失敗の烙印を押され、代わって映像化したのはデヴィッド・リンチ監督。
あれを映像化できるとすれば、自分以外にはリンチしかいないと思っていたホドロフスキー。
公開されたリンチの『デューン/砂の惑星』(1984)を観に行きたくはなかったけれど、
息子に観なあかんと言われて観に行ったそうです。
「観ているうちに元気になったんだ。だって……」と話す彼の表情がたまらない。
それは妬み嫉みのかけらも感じられない、子どものような表情。
そして、元気を取り戻したホドロフスキー。
失敗すればまた別の道を進めばいいと胸を張ります。
こういった伏線というのか過去を知らずに20年以上前に観た『サンタ・サングレ 聖なる血』(1989)。
そのときの衝撃を思い出し、『DUNE』にまつわる過去を知ってあらためて感激。
頓挫のせいでお互いに怒っていると思い、
疎遠になってしまったホドロフスキーとセドゥ(レア・セドゥの大おじに当たるのですと)が35年ぶりに再会。
タッグを組んで撮りあげた『リアリティのダンス』(2013)がまもなく公開されます。
監督:フランク・パヴィッチ
出演:アレハンドロ・ホドロフスキー,ミシェル・セドゥ,H・R・ギーガー,クリス・フォス,
ブロンティス・ホドロフスキー,ニコラス・ウィンディング・レフン,リチャード・スタンリー他
前述の『人生はマラソンだ!』とハシゴ。
同じくシネリーブル梅田の同じスクリーンの同じ座席にて(笑)。
どうしても観たかった本作を劇場で観ることができました。
チリ出身のアレハンドロ・ホドロフスキー監督、85歳。
長編映画デビュー作『ファンド・アンド・リス』(1967)がアカプルコ映画祭で上映されたときには、
あまりのイカレっぷりに暴動が起きたという鬼才。
その後、アメリカのミニシアターで深夜上映された『エル・トポ』(1969)が大評判となり、
『ホーリー・マウンテン』(1973)も続いてカルト人気を博します。
プロデューサーのミシェル・セドゥから次作について尋ねられ、
ホドロフスキーはフランク・ハーバートのSF小説『DUNE』を撮りたいと答えます。
大作『DUNE』に向けて一大プロジェクトを立ち上げると、
ホドロフスキーは人材の選定に取りかかりました。
彼が声をかけたのは、H・R・ギーガー、クリス・フォス、メビウス、ダン・オバノンなどなど、
この辺り、私たちが聞いてもピンと来ない名前ではありますが、
後の“エイリアン”シリーズのデザイナーや脚本家とわかれば、なるほど~。
『DUNE』のキャラクターや建造物および宇宙船のデザインを彼らが担当。
音楽を担当する事になったのはピンク・フロイド。
出演者に並ぶのは、サルバドール・ダリ、ミック・ジャガー、ウド・キア、
オーソン・ウェルズ、デヴィッド・キャラダインという錚々たる顔ぶれ。
各界のトップアーティストたちの集結は大いなる注目を集めますが、
ハリウッドは企画自体には惹かれながらも
ホドロフスキーがメガホンを取ることを良しとしません。
なにしろ『ホーリー・マウンテン』は糞を黄金に変える錬金術師の話でしたから、
何をやらかすかわからない危険な監督だと思われたとしても不思議はなかったか。
結局、どこからも資金が提供されることはなく、撮影は頓挫。
映画史上もっとも有名な「実現しなかった映画」が『DUNE』でした。
ホドロスキーのファンで、まだ若き監督であるフランク・パヴィッチ。
彼は実現しなかった『DUNE』の話を知り、ドキュメンタリーを撮ろうと考えます。
ホドロフスキー本人はもちろんのこと、当時の関係者や経緯を知る人物、
プロジェクトのメンバーだった人物、映画評論家などなどの証言がてんこ盛り。
あんなメンバーを集めておいて、いくらかかると思っているのか、
実現なんてするわけがないと思っていた人が多かったことでしょう。
頓挫してそれ見たことかと笑った人もいたことでしょう。
他人が見ればばかばかしい夢物語だったかもしれない。
けれど、それでもいいじゃないかと語るホドロフスキー。
見かけは失敗だったとしても、『DUNE』のプロジェクトの中から生まれたものたち。
それは後の映画に多大な影響を与えています。
『スター・ウォーズ』(1977)然り、『エイリアン』(1979)、『フラッシュ・ゴードン』(1980)然り。
クリス・フォスが「あのプロジェクトの仕事が今でも私の誇り」と話していたのが印象に残りました。
自分は『DUNE』映像化失敗の烙印を押され、代わって映像化したのはデヴィッド・リンチ監督。
あれを映像化できるとすれば、自分以外にはリンチしかいないと思っていたホドロフスキー。
公開されたリンチの『デューン/砂の惑星』(1984)を観に行きたくはなかったけれど、
息子に観なあかんと言われて観に行ったそうです。
「観ているうちに元気になったんだ。だって……」と話す彼の表情がたまらない。
それは妬み嫉みのかけらも感じられない、子どものような表情。
そして、元気を取り戻したホドロフスキー。
失敗すればまた別の道を進めばいいと胸を張ります。
こういった伏線というのか過去を知らずに20年以上前に観た『サンタ・サングレ 聖なる血』(1989)。
そのときの衝撃を思い出し、『DUNE』にまつわる過去を知ってあらためて感激。
頓挫のせいでお互いに怒っていると思い、
疎遠になってしまったホドロフスキーとセドゥ(レア・セドゥの大おじに当たるのですと)が35年ぶりに再会。
タッグを組んで撮りあげた『リアリティのダンス』(2013)がまもなく公開されます。