『複製された男』(原題:Enemy)
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ジェイク・ギレンホール,メラニー・ロラン,サラ・ガドン,イザベラ・ロッセリーニ,
ジョシュア・ピース,ティム・ポスト,ケダー・ブラウン,ダリル・ディン他
『思い出のマーニー』→『エスケイプ・フロム・トゥモロー』と、
TOHOシネマズ梅田で観終わったのが13:45。
本作はシネ・リーブル梅田で14:40からだったので、
電池切れしてからもう長く経つ腕時計をヨドバシカメラに持って行くチャンス。
14:00にヨドバシに着いたら、電池交換の待ち時間が30分。
14:30に受け取れたら上映開始にもバッチリ間に合う。
前日から読みはじめた京極夏彦の『幽談』を読んでいたら、
電池交換完了までに読了してしまった。これでは帰りの電車で読む本がない。(T_T)
家に帰れば未読本が150冊あるというのに。
電車に乗る前にブックファーストに寄ろうと決めて梅田スカイビルへ。
前2作を観て、ハズレなしの印象を持ったドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。
『プリズナーズ』でお気に入りになったのか、ジェイク・ギレンホールを主演に迎えて。
原作はポルトガル出身のノーベル文学賞受賞作家ジョゼ・サラマーゴの小説で、
邦題と同じ意味の“O Homem Duplicado”。
それをわざわざ“Enemy”とした本作、人には薦めづらいけど、いろんな意味でものすごく面白い。
大学で歴史の教鞭を執るアダムは、同僚から1本の映画を薦められる。
映画を観る趣味はないが、同僚の態度が意味深だったこともあり、
『道は開かれる』というタイトルのその映画をDVDショップで借りて帰る。
DVDを観たアダムは愕然。端役で出演していた俳優が自分と瓜二つだったのだ。
そっくりなどというレベルではなく、それは自分そのもの。
気になって仕方ないアダムは、その俳優の名前がアンソニーであることを突き止め、
所属事務所を訪れるが、アンソニーはあいにく不在。
しかし、守衛がアダムをアンソニーと間違い、アンソニー宛の郵便物を手渡される。
郵便物からアンソニーの自宅住所を知ったアダムは、電話をかけてみる。
すると、電話に出たアンソニーの妻とおぼしき女性は、
アダムの声を聞いてアンソニーだと思い込む。声までも同じなのか。
とりあえず一度会ってみることにしたアダムとアンソニー。
ところが、顔と声どころか、後天的にできた傷跡も同じ位置にある。
服装以外はすべてがまったく同じで……。
キャッチコピーは、
「“脳力”が試される、究極の心理ミステリー あなたは、一度で見抜けるか」。
こりゃ見抜くのは大変、普通は想像もつかない話で、トリックと言うのも妙な感じ。
だけど、考えれば考えるほど面白い。以下、もろネタバレです。
冒頭、廊下を歩く男の後ろ姿はアンソニーのものだと思わされますが、
後から考えるとあれはアダムだったのかと。
いかがわしいポルノクラブで裸の美女が蜘蛛を踏みつぶし、
それを見て興奮する、社会的地位の高そうな男性たち。
これに関わっているのがアンソニーで、悪そうな男そのもの。
妊娠6カ月になる妻ヘレンはアンソニーの浮気を疑っています。
一方のアダムは堅い職業に就く、おとなしい男。
母親からの電話では息子の贅沢な部屋と気ままな生活を心配する言葉があり、
この息子のどこにそんな心配をする部分があるのかと思います。
その疑問点を頭に置いておけば、後からなるほどと納得。
アダムにはメアリーという恋人がいて、アンソニーはメアリーに目を付けます。
この女と一発ヤリたい、そう考えたアンソニーは、アダムに難癖をつけて、
一晩入れ替わる話を持ちかけます。
お互いの服を着て相手になりすまし、アダムはアンソニーの家へ、
アンソニーはアダムの車に乗ってメアリーを迎えに。
ヘレンの帰宅前、アダムはアンソニー宅で1枚の写真を見つけます。
アンソニーとヘレンが写る写真。それはアダムも持っている写真でした。
けれども、アダムが持っている写真はふたつに裂かれていて、ヘレンは写っていません。
ふたりが幸せそうに笑っている写真を見ると、
アダムとアンソニーは同一人物で、かつては優しい男だったアダムが、
いかがわしい仕事に手を染めて、高級を稼ぐようになる。
こうなったところからがアンソニーで、暮らしぶりはよくなったけれども、
浮気もし、夫婦仲は冷めてしまった。母親はそんな息子を心配している。
そんなふうにも考えられます。同一人物ではなく、「まるで同一人物」的なもの。
2組のカップルがその後どうなったかと言うと、
いま目の前にいる男は自分の夫(アンソニー)ではないと気づいたヘレンは、
もとの優しい人に戻った夫と瓜二つの男(アダム)を受け入れます。
かたやメアリーは目の前にいる男(アンソニー)が恋人(アダム)ではないと気づき、
車の中で逆上、運転を誤って車はクラッシュ、アンソニーとメアリーは死亡。
序盤の歴史の授業中に「Controlの歴史はくり返される」とアダムの言葉。
そこでまたまた考えてみると、
男をコントロールしたがる女がいて、それは妻だったり恋人だったり母親だったりする。
コントロールしたがる女の象徴が蜘蛛であり、蜘蛛を踏みつぶしたい欲求が男にはある。
コントロールしたがる女を征服したり殺したりすることに成功したように見えても、
結局目の前にはまたコントロールしたがる女が現れる。そんなところかと。
アダムはいつしかアンソニーになり、またアダムになってアンソニーになる。
結婚して妻となった女性を裏切り、愛人に走るけれど、また妻に戻る。
何にしてもそのくり返し。歴史はくり返されるのだと。
最後のシーンは最初のシーンに繋がっているのですよね、たぶん。
アダムが借りたDVDのタイトルのように道は開かれたはずだったのに逆戻り。
ストレス解消作用のあるブルーベリーが双方で出てきたり、意味深なことばかり。
ちなみに、ブルーベリーに付く害虫は蜘蛛が駆除してくれるそうです。
オチのシーンではおそらく大半の人がお口あんぐりだったはず。
私もふきました。だって巨大な蜘蛛がいきなり出てくるなんて、反則でしょ。
と思ったけれど、考えれば考えるほど面白い。
“Enemy(=敵)”は複製された自分自身ではなく、コントロールしたがる女か。
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ジェイク・ギレンホール,メラニー・ロラン,サラ・ガドン,イザベラ・ロッセリーニ,
ジョシュア・ピース,ティム・ポスト,ケダー・ブラウン,ダリル・ディン他
『思い出のマーニー』→『エスケイプ・フロム・トゥモロー』と、
TOHOシネマズ梅田で観終わったのが13:45。
本作はシネ・リーブル梅田で14:40からだったので、
電池切れしてからもう長く経つ腕時計をヨドバシカメラに持って行くチャンス。
14:00にヨドバシに着いたら、電池交換の待ち時間が30分。
14:30に受け取れたら上映開始にもバッチリ間に合う。
前日から読みはじめた京極夏彦の『幽談』を読んでいたら、
電池交換完了までに読了してしまった。これでは帰りの電車で読む本がない。(T_T)
家に帰れば未読本が150冊あるというのに。
電車に乗る前にブックファーストに寄ろうと決めて梅田スカイビルへ。
前2作を観て、ハズレなしの印象を持ったドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。
『プリズナーズ』でお気に入りになったのか、ジェイク・ギレンホールを主演に迎えて。
原作はポルトガル出身のノーベル文学賞受賞作家ジョゼ・サラマーゴの小説で、
邦題と同じ意味の“O Homem Duplicado”。
それをわざわざ“Enemy”とした本作、人には薦めづらいけど、いろんな意味でものすごく面白い。
大学で歴史の教鞭を執るアダムは、同僚から1本の映画を薦められる。
映画を観る趣味はないが、同僚の態度が意味深だったこともあり、
『道は開かれる』というタイトルのその映画をDVDショップで借りて帰る。
DVDを観たアダムは愕然。端役で出演していた俳優が自分と瓜二つだったのだ。
そっくりなどというレベルではなく、それは自分そのもの。
気になって仕方ないアダムは、その俳優の名前がアンソニーであることを突き止め、
所属事務所を訪れるが、アンソニーはあいにく不在。
しかし、守衛がアダムをアンソニーと間違い、アンソニー宛の郵便物を手渡される。
郵便物からアンソニーの自宅住所を知ったアダムは、電話をかけてみる。
すると、電話に出たアンソニーの妻とおぼしき女性は、
アダムの声を聞いてアンソニーだと思い込む。声までも同じなのか。
とりあえず一度会ってみることにしたアダムとアンソニー。
ところが、顔と声どころか、後天的にできた傷跡も同じ位置にある。
服装以外はすべてがまったく同じで……。
キャッチコピーは、
「“脳力”が試される、究極の心理ミステリー あなたは、一度で見抜けるか」。
こりゃ見抜くのは大変、普通は想像もつかない話で、トリックと言うのも妙な感じ。
だけど、考えれば考えるほど面白い。以下、もろネタバレです。
冒頭、廊下を歩く男の後ろ姿はアンソニーのものだと思わされますが、
後から考えるとあれはアダムだったのかと。
いかがわしいポルノクラブで裸の美女が蜘蛛を踏みつぶし、
それを見て興奮する、社会的地位の高そうな男性たち。
これに関わっているのがアンソニーで、悪そうな男そのもの。
妊娠6カ月になる妻ヘレンはアンソニーの浮気を疑っています。
一方のアダムは堅い職業に就く、おとなしい男。
母親からの電話では息子の贅沢な部屋と気ままな生活を心配する言葉があり、
この息子のどこにそんな心配をする部分があるのかと思います。
その疑問点を頭に置いておけば、後からなるほどと納得。
アダムにはメアリーという恋人がいて、アンソニーはメアリーに目を付けます。
この女と一発ヤリたい、そう考えたアンソニーは、アダムに難癖をつけて、
一晩入れ替わる話を持ちかけます。
お互いの服を着て相手になりすまし、アダムはアンソニーの家へ、
アンソニーはアダムの車に乗ってメアリーを迎えに。
ヘレンの帰宅前、アダムはアンソニー宅で1枚の写真を見つけます。
アンソニーとヘレンが写る写真。それはアダムも持っている写真でした。
けれども、アダムが持っている写真はふたつに裂かれていて、ヘレンは写っていません。
ふたりが幸せそうに笑っている写真を見ると、
アダムとアンソニーは同一人物で、かつては優しい男だったアダムが、
いかがわしい仕事に手を染めて、高級を稼ぐようになる。
こうなったところからがアンソニーで、暮らしぶりはよくなったけれども、
浮気もし、夫婦仲は冷めてしまった。母親はそんな息子を心配している。
そんなふうにも考えられます。同一人物ではなく、「まるで同一人物」的なもの。
2組のカップルがその後どうなったかと言うと、
いま目の前にいる男は自分の夫(アンソニー)ではないと気づいたヘレンは、
もとの優しい人に戻った夫と瓜二つの男(アダム)を受け入れます。
かたやメアリーは目の前にいる男(アンソニー)が恋人(アダム)ではないと気づき、
車の中で逆上、運転を誤って車はクラッシュ、アンソニーとメアリーは死亡。
序盤の歴史の授業中に「Controlの歴史はくり返される」とアダムの言葉。
そこでまたまた考えてみると、
男をコントロールしたがる女がいて、それは妻だったり恋人だったり母親だったりする。
コントロールしたがる女の象徴が蜘蛛であり、蜘蛛を踏みつぶしたい欲求が男にはある。
コントロールしたがる女を征服したり殺したりすることに成功したように見えても、
結局目の前にはまたコントロールしたがる女が現れる。そんなところかと。
アダムはいつしかアンソニーになり、またアダムになってアンソニーになる。
結婚して妻となった女性を裏切り、愛人に走るけれど、また妻に戻る。
何にしてもそのくり返し。歴史はくり返されるのだと。
最後のシーンは最初のシーンに繋がっているのですよね、たぶん。
アダムが借りたDVDのタイトルのように道は開かれたはずだったのに逆戻り。
ストレス解消作用のあるブルーベリーが双方で出てきたり、意味深なことばかり。
ちなみに、ブルーベリーに付く害虫は蜘蛛が駆除してくれるそうです。
オチのシーンではおそらく大半の人がお口あんぐりだったはず。
私もふきました。だって巨大な蜘蛛がいきなり出てくるなんて、反則でしょ。
と思ったけれど、考えれば考えるほど面白い。
“Enemy(=敵)”は複製された自分自身ではなく、コントロールしたがる女か。