『海峡を越えた野球少年』(英題:Strangers on the Field)
監督:キム・ミョンジュン
『さとにきたらええやん』→『将軍様、あなたのために映画を撮ります』→これ。
この日はナナゲイにて濃いドキュメンタリー3本のハシゴでした。
1956年、韓国では朝鮮戦争後の復興のため、野球大会が開催されることに。
それは高校生による“鳳凰(ポンファン)大旗全国高校野球大会”。
韓国における野球の歴史はまだ浅く、ついては野球に詳しい他国を呼びたい。
だけどアメリカは遠すぎる。日本に声をかけるのは嫌。
ならば日本にいるコリアンを呼ぶということで妥協すればどうだろう。
そんなわけで、在日コリアンが招待されることになりました。
こうして1956年から1997年までの42年間にわたり、
毎夏、在日コリアンの野球少年たちが韓国へ。
海峡を越えて大会に出場した野球少年の数620名。
本作の監督は620名全員を探し出したいと思ったものの、それはさすがに無理。
適当にあたるのも効率が悪く、何年かに絞って探すと決めました。
どうせならば記憶に残る戦いぶりだった年の選手たちに会いたいと、
1982年の決勝戦まで勝ち残った在日同胞チームを選びます。
韓国側プロデューサー、チョ・ウンソン、日本側のプロデューサー、力武俊行とともに、
当時の名簿を頼りに連絡を試みますがなかなか。
上手く行きあたっても、なんとも怪しげな話だと相手にしてくれない。
だってそうですよね、何十年も前のことをいきなり持ち出され、
今年の韓国プロ野球の始球式に登板してくれなどと言われたら。
それでも1人に話を聞いてもらえたら、そこから話が広がってゆく。
2人、3人と増えてゆき、関係者も含めて10人ほどと会うことに成功しました。
チームメイトでありながら30年会っていなかった彼ら。
本作の取材がきっかけで同窓会を開いてみたら、もう笑いの渦。
なぜか集まったメンバーのほとんどがベタベタの関西弁で可笑しいのなんのって。
1982年といえば、和歌山県立箕島高校の全盛期。
この年の主力選手のうち4人が在日コリアンだったそうです。
また、大阪市生野区勝山高校の野球部顧問の先生も取材に応じ、
一時は生徒の8割が在日コリアンだったと話します。
だから韓国へ渡った野球少年には関西弁の占める割合が高いのでしょうか。
同窓会に集まった面々は、投手の梁視鉄(ヤン・シチョル)、捕手の権仁志(クォン・インジ)、
セカンドの姜孝雄(カン・ヒョウン)、サードの裵俊漢(ペ・ジュンハン)、
センターの張基浩(チャン・ギホ)、レフトの金勤(キム・グン)。
彼らが面白可笑しく、時にはせつなく当時の思い出を語ります。
日本で差別され、韓国へ行っても同胞だとは思ってもらえない。
だけど、勝ち進むうちに応援されるようになり、
30年後のプロ野球開幕の始球式では温かい拍手で迎えられ送られる。
『PK』を観て数日後だったせいもあり、なぜ人々は争うのかを考えさせられました。
人は神を信じたいだけなのに。それと同じように、彼らは野球をしたいだけなのに。
モンゴルの、アメリカに渡ったインド人の、カナダ・バンクーバーの、台湾の、
そしてもちろん日本の野球の話、どれもじわじわ来ます。
私はやっぱり野球が好き。
監督:キム・ミョンジュン
『さとにきたらええやん』→『将軍様、あなたのために映画を撮ります』→これ。
この日はナナゲイにて濃いドキュメンタリー3本のハシゴでした。
1956年、韓国では朝鮮戦争後の復興のため、野球大会が開催されることに。
それは高校生による“鳳凰(ポンファン)大旗全国高校野球大会”。
韓国における野球の歴史はまだ浅く、ついては野球に詳しい他国を呼びたい。
だけどアメリカは遠すぎる。日本に声をかけるのは嫌。
ならば日本にいるコリアンを呼ぶということで妥協すればどうだろう。
そんなわけで、在日コリアンが招待されることになりました。
こうして1956年から1997年までの42年間にわたり、
毎夏、在日コリアンの野球少年たちが韓国へ。
海峡を越えて大会に出場した野球少年の数620名。
本作の監督は620名全員を探し出したいと思ったものの、それはさすがに無理。
適当にあたるのも効率が悪く、何年かに絞って探すと決めました。
どうせならば記憶に残る戦いぶりだった年の選手たちに会いたいと、
1982年の決勝戦まで勝ち残った在日同胞チームを選びます。
韓国側プロデューサー、チョ・ウンソン、日本側のプロデューサー、力武俊行とともに、
当時の名簿を頼りに連絡を試みますがなかなか。
上手く行きあたっても、なんとも怪しげな話だと相手にしてくれない。
だってそうですよね、何十年も前のことをいきなり持ち出され、
今年の韓国プロ野球の始球式に登板してくれなどと言われたら。
それでも1人に話を聞いてもらえたら、そこから話が広がってゆく。
2人、3人と増えてゆき、関係者も含めて10人ほどと会うことに成功しました。
チームメイトでありながら30年会っていなかった彼ら。
本作の取材がきっかけで同窓会を開いてみたら、もう笑いの渦。
なぜか集まったメンバーのほとんどがベタベタの関西弁で可笑しいのなんのって。
1982年といえば、和歌山県立箕島高校の全盛期。
この年の主力選手のうち4人が在日コリアンだったそうです。
また、大阪市生野区勝山高校の野球部顧問の先生も取材に応じ、
一時は生徒の8割が在日コリアンだったと話します。
だから韓国へ渡った野球少年には関西弁の占める割合が高いのでしょうか。
同窓会に集まった面々は、投手の梁視鉄(ヤン・シチョル)、捕手の権仁志(クォン・インジ)、
セカンドの姜孝雄(カン・ヒョウン)、サードの裵俊漢(ペ・ジュンハン)、
センターの張基浩(チャン・ギホ)、レフトの金勤(キム・グン)。
彼らが面白可笑しく、時にはせつなく当時の思い出を語ります。
日本で差別され、韓国へ行っても同胞だとは思ってもらえない。
だけど、勝ち進むうちに応援されるようになり、
30年後のプロ野球開幕の始球式では温かい拍手で迎えられ送られる。
『PK』を観て数日後だったせいもあり、なぜ人々は争うのかを考えさせられました。
人は神を信じたいだけなのに。それと同じように、彼らは野球をしたいだけなのに。
モンゴルの、アメリカに渡ったインド人の、カナダ・バンクーバーの、台湾の、
そしてもちろん日本の野球の話、どれもじわじわ来ます。
私はやっぱり野球が好き。