雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

わが県も「まん延防止等重点措置」

2021-04-02 18:34:46 | 日々これ好日

     『 わが県も「まん延防止等重点措置」 』

   残念ながら というより 当然のことながら
   わが県も 「まん延防止等重点措置」が適用されることになった
   データーによっては 大坂より厳しい部分もある
   いずれにしても 一日も早く 鎮静に向かわなくてはならない
   そのためには 飲食店に対する時短要請の繰り返しは
   余りにも 進歩がないような気がする
   そしてもう一つ この措置を 「まんぼう」などと呼ぶのは
   避けて欲しいと思うのは 少数派なのだろうか

                   ☆☆☆

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煙となりぬらん

2021-04-02 07:57:43 | 新古今和歌集を楽しむ

   いにしへの 海人や煙と なりぬらん
            人目も見えぬ 塩竃の浦

           作者  一条院皇后宮

(  NO .  1717   巻第十八 雑歌下 )
        いにしへの あまのけぶりと なりぬらん
                ひとめもみえぬ しおがまのうら


* 作者の一条院皇后宮とは、一条天皇の中宮定子のことである。( 977 - 1001 ) 行年二十五歳。


* 歌意は、「 むかしの海人は みな死んで煙に なってしまったのであろうか 人の行き来も見えない 塩竃の浦よ 」といった、ごく分かりやすい和歌といえるが、作者の生涯を重ね合わせると、何とも切ない和歌ともいえる。 

* 一条院皇后、一般的には一条天皇の中宮定子として知られている。
一条天皇の御代 ( 986 - 1011 ) は、平安王朝文化の頂点を築いたと言っても過言ではあるまい。特に女流文学者は、赤染衛門・清少納言・和泉式部・紫式部など現在にまで伝えられている著名な人物が多くいる。
その背景には、中関白家藤原道隆の娘である定子と、御堂関白家藤原道長の娘である彰子とが、その勢力争いのため優秀な女房を集めたからとされる。
ただ、実際は、定子と彰子とは十二歳の差があり、彰子が十二歳で入内してから定子が崩御するまでの期間は一年間程なのである。また、定子崩御後にその遺児を彰子が養育していたとされ、皇位継承にあたってもその遺児を推していたらしく、それによって父の道長と対立さえあったと伝えられている。

* しかし、それにしてもやはり、定子の生涯には哀れさが伴う。
当時の内裏や上流貴族の生活環境は、一般庶民のそれとは想像を絶するほどの差があったと考えられる。定子が生まれ育った環境は、それも生涯にわたって最上級の特権階級にあったわけで、その悲劇性は庶民の目には理解できないものなのかもしれない。
しかし、逆に言えば、そうした環境の中での生涯であったればこそ、父の死とともに没落していく中関白家や、姫宮の出産によりわずか二十三年ほどで世を去らなくてはならなかった生涯は、やはり、哀しみにあふれている。

* 一条天皇の後宮で輝いた二人の中宮。定子は天皇の寵愛を受け皇子も皇女も儲けながら若くして崩御した。彰子は父道長の圧倒的な政治力を背景に、その後を襲う形で後宮の中心となり、二人の天皇を儲け、孫たちも次々と皇位に就いている。そして、八十七歳までの長命を得て、政治的な影響も小さいものではなかった。
この二人の中宮は、現代に至るまで、多くの文学などに取り上げられ、歴史ファンを二分させるほど人気がある人物である。
そして、歴史的な存在感では圧倒的な差があるが、その人気は甲乙つけがたいほど拮抗しているのではないだろうか。それこそが一条天皇の中宮定子の尽きせぬ魅力の証左ではないだろうか。

     ☆   ☆   ☆
 
    

 

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