雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

千里の道 ・ ちょっぴり『老子』 ( 70 )

2015-06-19 08:22:00 | ちょっぴり『老子』
          ちょっぴり『老子』 ( 70 )

               千里の道

千里の道と雖も最初の一歩に始まる

「 其安易持、其末兆易謀。其脆易破、其微易散。爲之於末有、治之於末有、治之於末亂。合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土、千里之行、始於足下。爲者敗之、執者失之。聖人無爲。故無敗。无執、故無失。民之従事、常於幾成而敗之。慎終如始、則無敗事。・・・」
『老子』第六十四章の前半部分です。
読みは、「 其の安きは持し易く、其の未(イマ)だ兆さざるは謀(ハカ)り易し。其の脆(モロ)きは破り易く、其の微なるは散じ易し。之を未だ有らざるに爲(オサ)め、之を未だ亂れざるに治める。合抱(ゴウホウ)の木も、毫末(ゴウマツ)より生じ、九層の臺(ウテナ)も累土より起こり、千里の行も、足下より始まる。爲(ナ)す者は之を敗り、執(ト)る者は之を失う。聖人は無爲なり。故に敗れること無し。執ること无(ナ)し、故に失うこと無し。民の事に従うは、常に幾(ホト)んど成るに於いて之を破る。終わりを慎むこと始めの如くなれば、則ち事を敗ること無し。・・・」
文意は、「 すべて物事は、安全の状態にしておけば維持することは易しく、それが未だ表面化しないうちに謀って対処すれば容易に治められる。それがまだ脆いうちであれば破るのは容易であり、微小な兆候のうちに対処すれば、散らしてしまうことは容易である。未だ形を成さざるうちに治め、いまだ乱れざるうちに治めることが大切である。合抱の木(一抱えもある木)も、毛の先ほどの芽から生じた物であり、九層の台(ウテナ・楼台)も一握りの土を積み重ねて造られており、千里の行程も足下の一歩から始まっている。あまり人為を為す者は事を壊してしまい、あまり執着する者はかえってそれを失う。聖人は無為自然である。だから事を壊すことが無い。執着しない、だから失うこともない。人民が事に従事する場合、いつでもほとんど事が成就しかかっているところで失敗している。終わりを始めの時のように慎重に行えば、失敗することが無い。・・・」

この章も混入などが考えられるとされています。特に後半部分は独立した文章のように思われるので、切り離すことにしました。
個々の文節の趣旨を大まかに整理してみますと、まず、「何事も小さなうちに対処することが大切である」と説き、次には「あまり人為的な策を用いたり、執着しすぎることは失敗につながる」という文章があり、その次には「最後の部分を慎重にやらねば失敗する」と説いています。
ここにある部分だけでも、一つの文章としては関連性に不自然さを感じさせます。

最後の一歩こそ慎重に

文脈に混乱が感じられるとしても、個々の文章の意味は分かりやすい教えだといえます。
最初の部分は、トラブルに対する初期対応の大切さを述べていると思われます。『老子』は、為政者に対して説いているのでしょうが、私たちの日常でも十分納得できる教えといえます。
その次の部分は、『老子』全体に流れている教えともいえます。

最後の部分は、私たちの日常でも心したい忠告といえます。
物事をなす時、開始早々に失敗するようなものは、しょせん実力以上のことの場合が多いようです。問題は、完成間近で失敗することへの対処なのですが、ちょっとした油断に起因することが多いようです。
「慎終如始」・・、心すべき教えだと思います。

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