ちょっぴり『老子』
美しさとは
美しさとは
『老子』第二章の冒頭部分は、
「天下皆知美之為美、斯悪己。皆知善之為善、斯不善己」です。
日本語読みにしますと、「天下 皆 美の美たるを知る、これ悪のみ。 皆 善の善たるを知る、これ不善のみ」といった感じです。
つまり、「世間一般の人は、美しいものを、単純に美しいものとして知っているだけで、それは正しくない。皆、善というものを、単純に善だとして知っているが、それは良くないことだ」という指摘をされているのです。
『老子』先生の申されるには、「美しい、美しいといっても、それは何かと比較して美しいと言っているだけで、揺るぎのない絶対的な美とは違うものを、美しいと言っているのは間違っている。善だといわれているものも、それより劣る何かと比べて、善だ善だと言っているのであって、揺るぎのない絶対的な善とは異質のものを、善だと思っていることは良くないことである」と言われているらしいのです。
確かに、私たちが何かを判断する場合、何かと比べる相対的な判断によってなされていることが大半と思われます。
『老子』はそのことについて、「有・無」「難・易」「長・短」「高・下」「音・声」「前・後」なども同様だと、くどいほどに列記しています。
本当の価値
私たちの日常は、誰かと比較し、何かと比較し、良いとか悪いとか、勝っているとか負けているとか、そのような判断をベースにして動いている面が多いように思われます。
それでは駄目なんだ、というのが『老子』の教えのように思われます。
いかなるときにも揺るぎのない美しさ、何かを意識したり何かと比べたうえで評価されるといった次元ではない「善」を見分け、自らもそうなるように磨きなさい、それが『道』を身につけるということらしいのです。
( 第二章より )
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美しさとは
美しさとは
『老子』第二章の冒頭部分は、
「天下皆知美之為美、斯悪己。皆知善之為善、斯不善己」です。
日本語読みにしますと、「天下 皆 美の美たるを知る、これ悪のみ。 皆 善の善たるを知る、これ不善のみ」といった感じです。
つまり、「世間一般の人は、美しいものを、単純に美しいものとして知っているだけで、それは正しくない。皆、善というものを、単純に善だとして知っているが、それは良くないことだ」という指摘をされているのです。
『老子』先生の申されるには、「美しい、美しいといっても、それは何かと比較して美しいと言っているだけで、揺るぎのない絶対的な美とは違うものを、美しいと言っているのは間違っている。善だといわれているものも、それより劣る何かと比べて、善だ善だと言っているのであって、揺るぎのない絶対的な善とは異質のものを、善だと思っていることは良くないことである」と言われているらしいのです。
確かに、私たちが何かを判断する場合、何かと比べる相対的な判断によってなされていることが大半と思われます。
『老子』はそのことについて、「有・無」「難・易」「長・短」「高・下」「音・声」「前・後」なども同様だと、くどいほどに列記しています。
本当の価値
私たちの日常は、誰かと比較し、何かと比較し、良いとか悪いとか、勝っているとか負けているとか、そのような判断をベースにして動いている面が多いように思われます。
それでは駄目なんだ、というのが『老子』の教えのように思われます。
いかなるときにも揺るぎのない美しさ、何かを意識したり何かと比べたうえで評価されるといった次元ではない「善」を見分け、自らもそうなるように磨きなさい、それが『道』を身につけるということらしいのです。
( 第二章より )
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