ちょっぴり 『老子』 ( 69 )
大事は小事に始まる
小さなことを無視しない
「 爲無爲、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳。圖難於其易、爲大於其細。天下難事、必作於易、天下大事、必作於細。是以聖人終不爲大。故能成其大。夫軽諾必寡信。多易必多難。是以聖人猶難之。故終無難。 」
『老子』第六十三章の全文です。
読みは、「 無為を為(ナ)し、無事を事(コト)とし、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報いるに徳を以ってす。難を其の易きに圖(ハカ)り、大を其の細に為す。天下の難事は、必ず易きより作(オコ)り、天下の大事は、必ず細より作る。是を以って聖人は終(ツイ)に大を為さず。故に能(ヨ)くその大を成す。それ軽く諾(ダク)するものは必ず信(マコト)寡(スクナ)し。易とすること多ければ必ず難きこと多し。是を以って聖人は猶(ナオ)之を難しとす。故に終に難きこと無し。 」
文意は、「 道を極めた聖人は、人目につくようなことは為さず無為なことを為し、特別な事をすることなく無事を事とし、その言行は無味淡白である。そして、小さなものを無視せず大きなものになる始めと考え、少ないものを多くなる始めとして対処し、他人が自分に恨みを持って対してもこれに徳を以って対する。難しい事はまだ易しい間に解決を図るべきであり、大きい事件はそれがまだ細やかなうちに治めるべきである。天下の難事は、必ず易しいことから起こり、天下の大事は必ず些細なことから起こる。そうであるから、聖人は未然に事を治めるので、結局、大きな事を為すことが無い。それ故に、天下を無事に治めるという大事業を成し遂げるのである。そもそも軽々しく引き受けるような者には必ず信実がない。事を易しいと軽視することが多ければ必ず困難が多く出現する。是を以って聖人は容易に見えるものもなお難事とみなして取り組む。それ故に最後まで難事に出合うことが無いのである。 」
天下の難事とか天下の大事などといわれる事件も、それらはごく小さな出来事、ごく些細な事件に端を発しているということを説いています。
それと共に、怨みに対して徳を以って報いることも教えています。この教えなどは、後世の宗教家や哲学者といわれるような人物が異口同音に説いていることです。
現代でもそのまま通じる
天下の難事などといえば大事に感じますが、この章の教えは、私たちの日常においてそのまま通じるものです。
何かと話題となることの多い、企業の不祥事や不注意事故などに対する謝罪会見などを聞いていますと、全くこの教えがそのまま参考になるような気がします。しかも、謝罪会見に登場する人物の中には、この『老子』の教えをこれまで一度も接したことがなかったのかと疑ってしまうことが少なくありません。
私たちの日常において、難事とか大事とかいうほどではなくても、苦しい状態に追い込まれることはあるものです。
それらの中には、全く突発的で事前に対処のしようがないことも確かにありますが、その多くには、前触れのようなもの、ついつい見過ごしてしまったような事があるものです。
怨みに対して徳を以って報いる、ということはなかなか難しいことですが、この章は私たちの日常の参考になるのではないでしょうか。
★ ★ ★
大事は小事に始まる
小さなことを無視しない
「 爲無爲、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳。圖難於其易、爲大於其細。天下難事、必作於易、天下大事、必作於細。是以聖人終不爲大。故能成其大。夫軽諾必寡信。多易必多難。是以聖人猶難之。故終無難。 」
『老子』第六十三章の全文です。
読みは、「 無為を為(ナ)し、無事を事(コト)とし、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報いるに徳を以ってす。難を其の易きに圖(ハカ)り、大を其の細に為す。天下の難事は、必ず易きより作(オコ)り、天下の大事は、必ず細より作る。是を以って聖人は終(ツイ)に大を為さず。故に能(ヨ)くその大を成す。それ軽く諾(ダク)するものは必ず信(マコト)寡(スクナ)し。易とすること多ければ必ず難きこと多し。是を以って聖人は猶(ナオ)之を難しとす。故に終に難きこと無し。 」
文意は、「 道を極めた聖人は、人目につくようなことは為さず無為なことを為し、特別な事をすることなく無事を事とし、その言行は無味淡白である。そして、小さなものを無視せず大きなものになる始めと考え、少ないものを多くなる始めとして対処し、他人が自分に恨みを持って対してもこれに徳を以って対する。難しい事はまだ易しい間に解決を図るべきであり、大きい事件はそれがまだ細やかなうちに治めるべきである。天下の難事は、必ず易しいことから起こり、天下の大事は必ず些細なことから起こる。そうであるから、聖人は未然に事を治めるので、結局、大きな事を為すことが無い。それ故に、天下を無事に治めるという大事業を成し遂げるのである。そもそも軽々しく引き受けるような者には必ず信実がない。事を易しいと軽視することが多ければ必ず困難が多く出現する。是を以って聖人は容易に見えるものもなお難事とみなして取り組む。それ故に最後まで難事に出合うことが無いのである。 」
天下の難事とか天下の大事などといわれる事件も、それらはごく小さな出来事、ごく些細な事件に端を発しているということを説いています。
それと共に、怨みに対して徳を以って報いることも教えています。この教えなどは、後世の宗教家や哲学者といわれるような人物が異口同音に説いていることです。
現代でもそのまま通じる
天下の難事などといえば大事に感じますが、この章の教えは、私たちの日常においてそのまま通じるものです。
何かと話題となることの多い、企業の不祥事や不注意事故などに対する謝罪会見などを聞いていますと、全くこの教えがそのまま参考になるような気がします。しかも、謝罪会見に登場する人物の中には、この『老子』の教えをこれまで一度も接したことがなかったのかと疑ってしまうことが少なくありません。
私たちの日常において、難事とか大事とかいうほどではなくても、苦しい状態に追い込まれることはあるものです。
それらの中には、全く突発的で事前に対処のしようがないことも確かにありますが、その多くには、前触れのようなもの、ついつい見過ごしてしまったような事があるものです。
怨みに対して徳を以って報いる、ということはなかなか難しいことですが、この章は私たちの日常の参考になるのではないでしょうか。
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