雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

泊瀬に詣でて

2014-04-01 17:00:56 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          泊瀬に詣でて ( 流布本のうちの、一本二十六 ・ 一本二十七 )

  
     ( 一本二十六 )

泊瀬に詣でて、局にゐたりしに、あやしき下臈どもの、うしろをうちまかせつつ(着物の裾を長く引いて)、ゐ並みたりしこそ、ねたかりしか(腹が立つことです)。
いみじき心発して(オコシテ・信仰心を奮い起して)まゐりしに、川の音などの恐ろしう、榑橋(クレハシ・丸太を横に並べて土止めをして作った階段)を上るほどなど、おぼろけならず困じて(一方ならず疲れて)、「いつしか仏の御前を疾く見たてまつらむ」と思ふに、白衣着たる法師、蓑虫などのやうなる者ども(ぼろ衣を着た巡礼者か)集まりて、起ち居、額づきなどして、つゆばかりところもおかぬ(遠慮をしない)気色なるは、まことにこそねたく(いまいましく)おぼえて、押し倒しもしつべき心ちせしか。
いづくも(どこのお寺でも)、それは、さぞあるかし。

やむごとなき人などの詣りたまへる御局などの前ばかりをこそ、払ひ(人払い)などもすれ、よろしきは(そこそこの身分では)、制し煩ひぬめり。さは知りながらも、なほ、さし当りてさるをりをり、いとねたきなり。

掃ひ得たる櫛、垢に落とし入れたるも、ねたし。


     ( 一本二十七 )

女房のまゐりまかで(参内や退出)には、人の車を借るをりもあるに、いと快ういひて貸したるに、牛飼童、例の「し」文字よりも、強くいひて、いたう走り打つも、「あな、うたて(嫌だ)」とおぼゆるに、郎等どもの、ものむつかしげなる気色にて、
「疾うやれ。夜更けぬさきに」
などいふこそ、主の心推し量られて、「またいひ触れむ(二度と頼もう)」とも、おぼえね。

業遠の朝臣(ナリトホのアソン・定子の母の従弟)の車のみや、夜半・暁分かず人の乗るに、いささかさることなかりけれ。ようこそ教へ習はしけれ。
それに、道に遭ひたりける女車の、深きところに落し入れて、得曳き上げで、牛飼の腹立ちければ、従者して打たせさへしければ、まして、戒めおきたるこそ。


(一本二十六)
少納言さまが個人的に長谷寺に参った時のことと思われます。(第二百十一段にもある)
この場合の少納言さまは、「やむごとなき人」の一行ではなく、「よろしきは」程度なので、腹立ちも多かったのでしょう。
また、全体の内容からは、第九十段の「ねたきもの」の一部のようにも取れます。

(一本二十七)
再三登場する牛飼いについて語られています。
最後の部分は少々分かりにくいのですが、業遠の朝臣が、「車輪を窪みに落とした牛飼いが、腹立たしさから牛に八つ当たりしているのを見て、自分の従者によその牛飼いを打たせた」というもので、業遠の朝臣の牛飼を厳しく躾けるのを褒めているのでしょうが、お節介が過ぎるのを皮肉っている部分もあるように思います。

なお、この章段が追加分の最後ですが、少納言さまが選んだ最後ではありません。
「一本」の部分は、全て正編に組み入れるとしても、いずれも途中のどこかに入るものと思われます。
私たちが現在目にする『枕草子』としては、「第二百九十八段」を最終段とするのが自然だと思います。(個人的には、二百九十五段ですが)

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