雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

法律の限界 ・ 小さな小さな物語 ( 138 )

2010-07-04 17:59:05 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
冤罪事件の再審の様子が話題になっています。
人が人を裁く限り、正当な裁判を経てなお冤罪ということが起こるのを、避けることはできないのでしょうか。
冤罪そのものは、何も最近になって発生したものではなく、人類が集団生活を始め、規律のようなものが定められたその時から発生していたのではないでしょうか。
また、冤罪といっても、万全の調査のもとでなお発生するものと、悪意のものとがあるように思われます。悪意のものとは、取り調べ担当者や裁判官の故意あるいは重大な怠慢によるものを差していますが、時代によっては、時の政権の方針により故意に重大犯とされた例は、洋の東西を問わず数限りあることでしょう。


一方で、麻薬常習者や、性犯罪者、あるいは異常と思われるストーカーなどによる、大変不幸な重大事件も少なくありません。
私など法律の素人からすれば、なぜ事前に問題人物を拘留するなり、具体的な刑罰を適用することができなかったのかと思うことも少なくないのですが、人権であるとか、国家権力による苦い歴史とかを考え合わせれば、難しいことなのでしょうね。


「疑わしきは罰せず」というのが、わが国の裁判の原則だそうですが、それは、「力のある人や賢い人は罪を逃れやすい」ということを差しているのだとばかり思っていたのですが、必ずしもそうではなく、人が人を裁く以上は冤罪は起こりうるという前提に立っている原則なのでしょうね。


つまり、私たちは集団生活をする限り、それも国家という膨大な数の人々が同一組織として生活圏を築く限り、そこにはルール、すなわち法律が必要であり、それを犯すものは裁かなくてはならないのです。
裁く基準は厳正に定められているとしても、実行に当たるものは人間であり、常に間違った判断をする可能性があるわけです。また、いくら危険人物であっても、現に法律を犯していなければ、あるいは犯していても立証できなければ、拘束することも裁くこともできないのでしょう。
それが法律の運用であり、若干の冤罪や犯罪の見逃しは仕方がないのでしょう。社会全体としては、その程度の誤差は受け入れなければならないのかもしれません。
ただ、その不運にぶち当たった個人にすれば、場合によっては人生の大半を失うことにもなります。そのような人をどのように救済すべきなのか、なかなか難しい課題のようです。

( 2010.02.16 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優しい季節 ・ 小さな小さな物語 ( 139 )

2010-07-04 17:57:56 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
今日は、二十四節季の一つ「雨水」にあたります。
立春から十五日が経ち、その次の気候の節目を迎えたことになります。
当地の本日の天気は、若干寒いながらも日差しは春を感じさせるものでしたし、明日からの数日は、春到来を感じさせる陽気になるそうです。


立春が「春は名のみ」ということが実感されるのに対し、雨水は「確実に春の訪れを感じさせる優しい季節」といえるのではないでしょうか。
ちなみに、雨水の意味を調べてみますと「気温がわずかに上昇して 雪や霰が雨に変わる頃」とあります。また、「生命の声が聞こえてくる」という嬉しいような説明もありました。


二十四節季、あるいは それらを更に三分割した七十二候という気候の表記は、はるか二千五百年もの昔の中国で作られたものだそうです。現在私たちがよく目にする説明などは、明治七年の官暦において、中国伝来のものを大幅に改定して掲載されたものが標準になっているそうです。


それでもなお、現在の私たちにとっては、実感できないものや、なじみの薄いことも多いですし、雨水という優しい季節が、意外に大雪をもたらすことが多いことも事実です。
しかし、先人達が現在に伝えてくれている季節感である二十四節季というものを、今少し身近に置いて生活することは、私たちの生活に潤いと余裕を与えてくれるように思うのですが、いかがでしょうか。

( 2010.02.19 )


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カーリングに魅せられて ・ 小さな小さな物語 (140 )

2010-07-04 17:56:39 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
オリンピック放送、見ていますか。
私は、女子カーリングに魅せられています。前回のオリンピックで、初めてカーリングという競技の面白さを知ったのですが、今回はそれ以上に引き込まれています。


考えてみれば、ごく単純な競技だともいえると思うのですが、それだけに僅かな技術や作戦の差が勝敗を分けるともいえますし、なにぶん 氷の上を滑って行くのですから、自由にコントロールすることは大変でしょうし、運不運もあり、何とも切ない部分もあるのです。
さらにこのゲームを盛り上げているのは、国際試合らしく各国様々な言葉で叫び合っているのが、何とも良いものです。


冬季オリンピックの競技種目でいえば、アイスホッケーも実に面白いのですが、二つのゲームを比べてみますと、実に対照的で、それでいて全く異質でありながら甲乙付け難い緊張感があります。
このカーリングという競技、もしかするとテレビ放送に実に適しているように思われます。
わが国では、全国的に競技場を確保することは難しいでしょうから、大ブームを起こすのは難しいでしょうが、しっかりしたスポンサーがついて根付かせて欲しいものです。


もし、まだそれほど興味を持たれていない人があるようでしたら、ぜひテレビ放送をじっくりと見てください。
一投球、一投球ごとに変化する戦況に、きっと惹きつけられるはずです。
因みに、私が一番好きな放送は、勝利したゲームを時間遅れで放送されるものです。安心して見られますし、丁寧な解説も素直に受け取ることができますよ。
さあ、間もなく今日の二試合目が始まります。テレビの前で興奮してきましょう。

( 2010.02.22 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな小さな物語 目次 ( 141 ~ 160 )

2010-07-04 13:02:24 | 小さな小さな物語 第一部~第四部

小さな小さな物語 目次 ( No.141 ~ 160 )


   141  少し足りない
   142  お雛さま
   143  連鎖の一員
   144  見捨てられて
   145  取捨選択


   146  少しずつ少しずつ
   147  いらいらしていませんか?
   148  本当の真実とは?
   149  余命告知
   150  大体よろしい


   151  ブルームーン
   152  情けない話ですが
   153  すがすがしく
   154  死の受容
   155  ゆったりと


   156  生活習慣
   157  目線を下げる
   158  穀雨の候
   159  判官びいき
   160  わが家の猫は十八歳  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少し足りない ・ 小さな小さな物語 ( 141 )

2010-07-04 13:00:26 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
毎年のことながら、それも飽きるほど経験してきているはずなのに、二月は短いなと驚いています。本日二十八日で二月は終わるのですからね。
いまさら何を言っているのだと、お思いですか?


普通の月だと、あと二日か三日あるわけですから、何だかとても慌ただしい感じがします。
特に今年は、オリンピックのテレビ放送は見なければなりませんし、大津波がやってくるという報道など、ひときわ日数の少なさを感じてしまいます。
もっとも、今月にあと二日か三日残っていたとしても、取り分けて何をするわけでもないのですが、少し日数が足りないということに精神的な影響を受けているような気がします。


かつて、先輩からこんな話を聞いた記憶があります。
私がまだ若い頃のことですが、給料前になると小遣いが不足してきます。独身寮での生活をしていましたから、小遣いといっても生活費にもあたるわけです。
その先輩は、「今月も少し足りない」と嘆く私に笑いながら言いました。「足りない時は、誰でも少し足りないと言うんだよ」と。


小遣いに限らず、私たちの願いや欲望に対する満足度は、いつも少し足りないのだとその先輩は言うのです。
全部足りないなどということはなく、いつも少し足りないのだそうです。しかし、その少しが致命的であり、成功と失敗を区分けし、時には生死さえも左右させるのだそうです。
少し足りないというのが、本当に少しなら真剣に解決させよ、というのがその先輩の教えでした。少し足りないなどという言葉は、努力をしていませんというのと同じ意味なのだと教えてくれました。
残念ながら、私は未だに、二月の日数さえ少し足りないと嘆いているのです。

( 2010.02.28 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お雛さま ・ 小さな小さな物語 ( 142 )

2010-07-04 12:54:45 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
今日三月三日は桃の節句、お雛さまです。
当地は穏やかに晴れて、桃の節句にふさわしいお天気になっています。


ところで、節句であるとか記念日などというのは、やたらたくさんあるようですが、三月三日のお雛さまというのは、知名度の高さにおいては相当上位にランクされるのではないでしょうか。
子供の頃、男の子の節句である五月五日は休日なのに、女の子の節句である三月三日が休みでないのはおかしいと、子供同士で真剣に論争した記憶があります。
その後、かなりこじつけのような祝日が増えていきましたが、なぜか三月三日は選ばれないようです。


今朝も、ラジオやテレビで、すでに何回も雛祭りの歌や番組の冒頭の話題に取り上げられていましたが、五段や七段といった豪華な雛飾りに縁がないとしても、いい叔父さんも含めて、お雛さまという言葉には暖かなものを感じるのではないでしょうか。


ただ、今日は何の日かということになれば、三月三日を記念日としているものは意外に多いのですよ。
例えば「耳の日」があります。これなどは誰が考えても三月三日を選んでしまうと思われ、お雛さまという強烈なライバルに泣かされていることでしょうね。他にも、「耳かきの日」「金魚の日」「民放ラジオの日」「平和の日」などたくさんあります。それぞれに、三月三日でなければならない理由があると思うのですが、強烈なライバルを避けることは考えなかったのでしょうかねぇ。
いずれにしても、雛祭りから最も遠い存在と思われる私などが、こんなことを考えているのですから、まあ、良い世の中なのかもしれません。

( 2010.03.03 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連鎖の一員 ・ 小さな小さな物語 ( 143 )

2010-07-04 12:53:31 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
進化論に関する本を読んでいます・・・、などと言いますと、いかにも大層なことですが、図書館で面白そうな本を探していて、たまたま見つけた本を理解できそうな部分だけを読んでいる程度なのです。
ところが、これがなかなか面白いのです。


もっとも、理解できそうな部分だけ、ということ自体いい加減な表現でして、実際は、自分が理解できそうだと思う部分だけを、自分が持っている知識の範囲で受け取って悦に入っているというのが正しい表現なのですが、大変興味深く読んでいる最中です。


そのレベルたるや、ゾウの鼻はなぜ長いのか、キリンの首はなぜあんなに長いのか、といったことを中心にしている程度のことです。
中でも、「馬という動物は、本来存在しえないものだ」という一説には大変感動しています。つまり、馬という動物が登場するには、確率的には考えられないような方向性のない突然変異と、数多くの自然選択による選抜をくぐりぬけて、まさに奇跡的な確率の結果、現在私たちが目にしている馬があるというのです。


現代の進化論は、コンピューターや遺伝子工学などの飛躍的な発達により、ダーウィン時代とは様変わりの変貌を遂げているそうです。
しかし、同時に、現存する生物の登場してきた過程を推察するとき、自然環境に適用しようとする個体の主導的な変化や、全く方向性のない突然変異というものを組み込まないことには説明がつかないことが多いようなのです。
そして、かく申す私も、この遠大な進化という連鎖の一員だということなのです。そう考えて、少々良い気持ちになっています。

( 2010.03.06 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見捨てられて ・ 小さな小さな物語 ( 144 )

2010-07-04 12:52:16 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
フェリー業界が大変で、各地で廃止や縮小が現実化しているようです。
時代の流れというものは、何をしても抗しきれないものだと言ってしまえばそれまでですが、何かやりきれないものを感じます


確かに、どのような産業であれ業界であれ、栄枯盛衰は避けることなどできないのでしょう。
敗戦直後の花形産業であった、石炭や砂糖や、あるいは映画産業などが没落していった歴史は記憶に新しく、その後でも、各産業、各企業の盛衰は数限りなく数え上げることができるでしょう。
そして、そのいずれにも、時の流れという避けがたい背景があることは確かです。


フェリー業界も、例外ではないのかも知りません。
その昔、「駕籠かき」という仕事がありましたが、現在の交通手段の中に残すべきだといっても、誰も相手にしてくれないでしょう。フェリー業界も同じなのでしょうか。


ただ、最近の報道に見る限りでは、フェリーの存続を危うくしているのは、高速道路の料金見直しに原因しているということです。
高速道路の無料化、という命題は結構なことですが、どうも、メンツや気紛れのようなものが垣間見られるような気がするのは私だけなのでしょうか。
少なくない資金を投入して「社会実験」とやらをされるわけですから、まゆつばのような経済効果の計算の前に、実験の犠牲者が出ないように配慮されているはずでしょうから、それをもっと大々的に報じて欲しいものです。
実験による被害者を出さないことの大切さは、何も核兵器の実験に限らないと思うのですが。

( 2010.03.09 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

取捨選択 ・ 小さな小さな物語 ( 145 )

2010-07-04 12:50:23 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
書棚や机の中が見事なほどにごちゃごちゃになっていて、一念発起して片付けに入っています。
乱雑に詰め込まれたものは比較的新しいものが多く、右から左へと移すことはできるのですが、さて、捨てるとなるとなかなか決断がつきません。急いで捨てなくても、捨てるのはいつでもできるのだからと自分自身を納得させて、右から左へと移動させています。


整理されて綴じ込まれているものや、自分なりの項目別に集められているものは、少々ほこりをかぶったり色あせしたりしてはいても、まあ、保管するには適切な状態です。
しかし、同時に、それらの大半はこの数年開きもしていないものなので、これらを取捨選択しないことには書棚に空きスペースなどできるはずがありません。


そこで、何年かぶりに中を覗いてみると、そのほとんどはわざわざ丁寧に綴り込んでおくほどのものでもないし、必要な部分をパソコンに移せば相当の量を減らすことができそうです。
しかしねぇ、ある時期一生懸命に手書きで作り上げた資料というものは、この数年間何の役にも立っていないからといって、簡単には捨てられないんですよねぇ。
どうやら今回の一念発起も、書棚の上に段ボール箱が一つ増えることで片が付きそうです。


まあ、私の資料などは捨てようが残そうがどうということはないのですが、これがお国の仕事ということになれば、そうもいきますまい。
個人的には大変不愉快なパフォーマンスに見える「事業仕分け」がまた行われるそうです。
小さいことからコツコツと、と言う言葉もあるようですから、一つ一つ片付けて行くことが大切なのでしょうが、来年度の予算案などを考えますと、本当は候補に上がる事業などはすべて廃止し、仕分けにあたる人材なども全員なくすことから始めないことには、十兆円単位の節減などできませんよ。
十兆円などというのは乱暴ですか? そんなことはないでしょう。健全な国家財政を考えれば、来年度予算は、政府試案より五十兆円は減額が必要なのですよ。節減などという言葉を使う時期は、とっくの昔に過ぎてしまっていると思うのですがねぇ。
でも、予算の取捨選択となれば、私の書棚の中身の取捨選択より難しいのでしょうね、きっと。

( 2010.03.12 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少しずつ少しずつ ・ 小さな小さな物語 ( 146 )

2010-07-04 12:48:55 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
昨日朝、ウォーキングの途中でウグイスを見ました。それも、結構交通量の多い道路際の桜の木の梢近くで、かなり長い時間良い声を聞かせてくれました。
日曜日の朝なので車はあまり走っておらず、住宅地ではありますが雑木林に接しているあたりなので、姿を見せてくれていたのでしょう。
住宅地の中で毎年声を聞かせてくれるお家があったのですが、この数年、雑木林のように荒れていた広い庭を現代風に整備されてからは、そこではウグイスの声が聞かれなくなっていました。昨年などはかなり離れた山際でしか聞くことができませんでした。


今年は、わが家からごく近い所で聞かれて嬉しい気持ちになっているのですが、考えてみますと、わが家の周辺も何かが少しずつ変わっていっているように思われます。
以前に当コラムでも書きましたが、スズメのお宿になっていた街路樹には、最近はスズメの姿を見ることがありません。家の周りにスズメは結構いますし、わが家の庭にも降りてきてくれてはいます。しかし、大群をなして飛んでいるのを久しく見ていないように思います。
その代わりなのでしょうか、ヒヨドリの姿をよく見ます。以前から庭のキンカンをついばみに来ていましたが、今年は小さな菜園のチンゲンサイをしきりに食べに来ています。仕方がないので、十本ばかりは花を咲かせて残しておくことにしました。
ひと月ほど前には、わが家の庭に初めてメジロが姿を見せてくれました。それも珊瑚樹に二、三羽が数日来てくれていたのは何を食べに来ていたのでしょうか。
反対に、カラスが少なくなっています。私たちのゴミ置き場は幸いカラスの被害を受けていないのですが、近くでもカラス除けの黄色いシートをよく見ますし、近くの公園にも数多く姿を見せていました。それが、どうも最近少なくなっているのです。
何か、少しずつ変わっているのでしょうか。


昨日テレビで、温暖化に関するかなり激しい討論を見ました。まあ、何が正しいのか、どう対処すればいいのかはともかく、興味深い意見を列記してみます。
「石油など化石燃料が、CO2 の排出や地球温暖化の主因だと言うが、本当にそうだとすれば何の心配もない。地球環境が危機に陥る前に化石燃料は枯渇するのだから」
「温暖化よる悪影響の一つは、海面の上昇である。現にこの百年で数センチメートル上昇している。という意見に対して、それは大変、でも、あと二、三百年はどうということないですな、という意見」


いずれにしましても、栄枯盛衰は世の習い、万物すべてが流転するのは避けることなどできないとか。形あるものは必ず変化し、形ないものもまたすべからく移り変わるもののようです。
ただ、その中に生きる私たちとしましては、少しずつ少しずつの変化であってほしいと願うばかりです。

( 2010.03.15 )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする