雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

極楽往生への道 ・ 今昔の人々

2025-02-04 07:59:08 | 今昔の人々

     『 極楽往生への道 ・ 今昔の人々 』


元興寺(ガンゴウジ・奈良にあった大寺。)に智光と頼光という二人の学僧がいた。
この二人は、長年同じ僧坊に住んで学問を修めていたが、頼光は老境に至るまで怠けていて、学問をすることもなく、物を言うことも少なく、寝てばかりいた。一方、智光の方はたいへん聡明で、熱心に学問に励み、勝れた学僧となった。

やがて、頼光が死んでしまった。
智光はとても嘆いて、「頼光は長年の親友であった。ところが、長年の間、物も言わず、学問をすることもなく、常に寝ていた。死んだ後で、どのような報いを受けているのだろう。善所に生れたのか、悪所に堕ちたのか、どのような果報を受けたのか分らない」と言って、悲しんでいた。
そして、「頼光がどこに生れたのか知りたい」と二、三か月祈念していると、夢の中で頼光のいる所に行った。見れば、そこは、美しく飾り立てられていて、浄土に似ている。
智光は、まさか頼光が浄土に生まれていることなどあるまい、と思いながら頼光に「ここは、どういう所なのだ」と尋ねた。

頼光は、「ここは極楽世界だよ。君がぜひ知りたいと願っているので、私の生れた所を教えてあげたのだ。さあ、君は早く帰りなさい。ここは君がいる所ではないのだから」と言う。
智光は、「私は、常に浄土に生れることを願っている。絶対に帰りたくない」と答えた。
頼光は、「君には、浄土に生れるべき善業(ゼンゴウ)がない。しばらくでもここに留まってはならないのだよ」と言う。
智光は、「君は生前、何の善業も積んでいないはずだ。それなのに、どうしてここに生れたのだ」と尋ねた。
頼光はそれに答えた。「君は知らなかったのか。私は極楽浄土に往生すべき因縁があるから、ここに生れたのだよ。私は、以前に諸々の経論を開き見て、極楽に生れることを願っていた。それを深く思うがゆえに、物を言うことがなかった。四の威儀(ヨッツノイギ・戒律にかなった四種(行・住・坐・臥)の作法。)のうち、ただひたすらに弥陀のお姿と浄土の美しいさまを観想して、他に思いを移すことなく寝ていたのだ。長年のその功徳が積もって、今こうして浄土に生れたのだよ。君は、法文を覚えて、その教義を悟って、知恵明らかではあるが、心は雑念に揺らぎ、善根は非常に少ない。これでは、未だ浄土に生れるだけの善根は積んでいないのだ」と。
智光はそれを聞いて、泣き悲しんで尋ねた。「それでは、どうすれば、確かに往生することが出来るのだろうか」と。
頼光は、「その事については、私では答えることが出来ない。だから、阿弥陀仏にお尋ねなさい」と言って、すぐに智光を連れて阿弥陀仏の御前に参上した。

智光は阿弥陀仏に向かい奉り、手を合わせて礼拝し、「どのような善根を行いましたら、この浄土に生まれることが出来ますでしょうか。ぜひ、それをお教え下さい」と申し上げた。
阿弥陀仏は智光に、「仏の姿、浄土の荘厳を観想するがよい」と仰せられた。
智光は、「この浄土の荘厳は表現しがたく広大無辺で、とても私の心も眼も及ぶものではありません。凡夫の心で、とても観想することは出来ません」と申し上げた。
すると、阿弥陀仏は即座に右手を挙げて、掌の中に小さな浄土を現じなさった、と見たところで、夢から覚めた。
智光は、すぐに絵師を呼んで、夢で見た阿弥陀仏の掌の中の小さな浄土の有様を写させて、一生の間これを観想し続け、智光もまた遂に往生を果したのである。

       ☆   ☆   ☆

      ( 「今昔物語 巻第十五の第一話」を参考にしました )



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1 コメント

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Unknown (jikan314)
2025-02-04 10:32:37
いつも拝見しております。
昔、奈良の元興寺の重文「板絵智光曼荼羅」を拝観致しました。そろそろあちらの世に行きそうなので(笑)
その縁起を読み、為になりました。
今年は、鬼👹の物語を読もうと思っております。今昔物語集は、鬼👹の宝庫なので、又参考にさせていただきます✨😌✨
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