古代からのメッセージ ( 10 )
正妻の怒り
かくして、大国主神は高志の国の沼河比売(ヌナカワヒメ)を娶ることが出来たのであるが、これを知った大国主神の正妻である須勢理毘売命(スセリビメノミコト)は大いに怒った。
あまりに激しい嫉妬のため、困り果てた夫である大国主神は、出雲から大和国に上ろうと考えて、身支度をして出発しようとした。
片方の手は、御馬の鞍にかけ、片方の足はその鐙(アブミ)に踏み入れて、歌って言うには、
『ぬばたまの 黒き御衣(ミケシ)を ま具(ツブ)さに 取り装い 沖つ鳥 胸(ムナ)見る時 はたたぎも 是(コレ)は適(フサ)はず 辺(ヘ)つ波 そに脱き棄て 鴗鳥(ソニドリ・かわせみのこと)の 青き御衣を ま具さに 取り装い 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 是も適はず 辺つ波 そに脱き棄て 山方に蒔きし 茜つき 染め木が汁に 染め衣を ま具さに 取り装い 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 是(コ)し宜(ヨロ)し
愛子(イトコ)やの 妹(イモ)の命 群鳥の ・・・ 』
(ぬばたまの黒い衣を丁寧に身に着けて、沖の鴨がするように胸のあたりを見る時、ばたばたさせてみても、これは似合わない。それで岸に寄せる波のようにそっと脱ぎ棄て、かわせみの青い衣を丁寧に身に着けて 沖の鴨がするように胸のあたりを見る時、ばたばたさせてみても、これも似合わない。それで岸に寄せる波のようにそっと脱ぎ棄て、山の方に蒔いた茜をついて、その染め草の汁で染めた衣を丁寧に身に着けて、沖の鴨がするように胸のあたりを見る時、ばたばたさせてみると、これはよろしい。
愛しい人よ、わが妻の命よ、群鳥のように、私たちが皆去ってしまえば、引け鳥のように、私が引かれて行ってしまえば、決して泣かないとお前が言っても、ひとりぼっちの一本の薄のように、しょんぼりとうなだれて、お前は泣くだろう。その嘆きは、朝の空に流れる霧となって立つことだろう。若草のようなわが妻の命よ、出来事の語り伝えでも、このように伝えているのだよ。)
これに対して、妻の命が、大御酒坏を取って、夫の神のそばに寄り添って、杯を差し上げて、歌って言うには、
『八千矛の 神の命や 我が大国主 汝(ナ)こそは 男(オ)にいませば 打ち廻(ミ)る 島の崎々 掻き廻る 磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ 我(ア)はもよ 女(メ)にしあれば 汝を除(キ)て 夫(オ)は無し 汝を除て 夫(ツマ)は無し 綾垣の ふはやが下に 蚕衾(ムシブスマ) 和(ニコ)やが下に 栲衾(タクブスマ) 騒ぐが下に 沫雪(アワユキ)の 若やる胸を 栲綱(タクヅナ)の 白き腕(タダムキ) そ叩き 叩き愛(マナ)がり 真玉手 玉手差し枕(マ)き 股長(モモナガ)に 寝(イ)をし寝(ナ)せ 豊御酒(トヨミキ)奉らせ』
(八千矛の神の命よ、わが大国主よ。あなたは男でいらっしゃるから、廻られる島の崎々、廻られる磯部の崎のすべての所に、若草のような妻をお持ちでしょうが、私は女ですから、あなたのほかに男はありません。あなたのほかに夫はありません。綾織の帳がふわふわと揺れる下で、絹の夜具の柔らかな下で、楮(コウゾ)の夜具のさやさやと音を立てる下で、淡雪のような若々しく柔らかな私の胸を、楮の綱のように白い腕をそっと叩き、愛しがり、玉のような手を差し交して枕にして、脚をのびのびと伸ばして、お寝みください。さあ、このお酒をお召し上がりください。)
このように歌って、直ちに杯を交わして誓いを結び、首筋に手を掛け合い、今に至るまで鎮座なさっているのである。
以上の物語を、神語(カミガタリ)という。
(二人が抱き合った像が伝えられていたらしい。現存はしていない。)
☆ ☆ ☆
大国主神の系譜
大国主神は、いくつもの名前の持ち主であることはすでに述べたが、娶った女性の数も古事記に記されているだけでも少ない数ではない。
実際の数は、これより遥かに多く子孫の数も相当の数と推定できる。
古事記には、大国主の系譜としては、八島牟遅能神(ヤシマムシヂノカミ)の娘である鳥取神(トトリノカミ)を娶って生んだ鳥鳴海神(トリナルミノカミ)の嫡子を次々と紹介している。
そして、八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)から末裔の最後に挙げられている遠津山岬帯神(トオツヤマサキタラシノカミ)までを、「十七世の神」と言うとしている。
もっとも、記されている神々を数えて行くと十五代にしかならないので、途中が抜けているのか割愛されているのか分からないが、他の説を唱える研究者もいる。
また、最初とされている八島奴美神というのは、大国主神の五代前の祖先で、須佐之男命の子であるが、多くの伝承を伝えながら大国主神を初代としていないのは、天上の神である須佐之男命と一統であることを示すためであると考えられている。
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正妻の怒り
かくして、大国主神は高志の国の沼河比売(ヌナカワヒメ)を娶ることが出来たのであるが、これを知った大国主神の正妻である須勢理毘売命(スセリビメノミコト)は大いに怒った。
あまりに激しい嫉妬のため、困り果てた夫である大国主神は、出雲から大和国に上ろうと考えて、身支度をして出発しようとした。
片方の手は、御馬の鞍にかけ、片方の足はその鐙(アブミ)に踏み入れて、歌って言うには、
『ぬばたまの 黒き御衣(ミケシ)を ま具(ツブ)さに 取り装い 沖つ鳥 胸(ムナ)見る時 はたたぎも 是(コレ)は適(フサ)はず 辺(ヘ)つ波 そに脱き棄て 鴗鳥(ソニドリ・かわせみのこと)の 青き御衣を ま具さに 取り装い 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 是も適はず 辺つ波 そに脱き棄て 山方に蒔きし 茜つき 染め木が汁に 染め衣を ま具さに 取り装い 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 是(コ)し宜(ヨロ)し
愛子(イトコ)やの 妹(イモ)の命 群鳥の ・・・ 』
(ぬばたまの黒い衣を丁寧に身に着けて、沖の鴨がするように胸のあたりを見る時、ばたばたさせてみても、これは似合わない。それで岸に寄せる波のようにそっと脱ぎ棄て、かわせみの青い衣を丁寧に身に着けて 沖の鴨がするように胸のあたりを見る時、ばたばたさせてみても、これも似合わない。それで岸に寄せる波のようにそっと脱ぎ棄て、山の方に蒔いた茜をついて、その染め草の汁で染めた衣を丁寧に身に着けて、沖の鴨がするように胸のあたりを見る時、ばたばたさせてみると、これはよろしい。
愛しい人よ、わが妻の命よ、群鳥のように、私たちが皆去ってしまえば、引け鳥のように、私が引かれて行ってしまえば、決して泣かないとお前が言っても、ひとりぼっちの一本の薄のように、しょんぼりとうなだれて、お前は泣くだろう。その嘆きは、朝の空に流れる霧となって立つことだろう。若草のようなわが妻の命よ、出来事の語り伝えでも、このように伝えているのだよ。)
これに対して、妻の命が、大御酒坏を取って、夫の神のそばに寄り添って、杯を差し上げて、歌って言うには、
『八千矛の 神の命や 我が大国主 汝(ナ)こそは 男(オ)にいませば 打ち廻(ミ)る 島の崎々 掻き廻る 磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ 我(ア)はもよ 女(メ)にしあれば 汝を除(キ)て 夫(オ)は無し 汝を除て 夫(ツマ)は無し 綾垣の ふはやが下に 蚕衾(ムシブスマ) 和(ニコ)やが下に 栲衾(タクブスマ) 騒ぐが下に 沫雪(アワユキ)の 若やる胸を 栲綱(タクヅナ)の 白き腕(タダムキ) そ叩き 叩き愛(マナ)がり 真玉手 玉手差し枕(マ)き 股長(モモナガ)に 寝(イ)をし寝(ナ)せ 豊御酒(トヨミキ)奉らせ』
(八千矛の神の命よ、わが大国主よ。あなたは男でいらっしゃるから、廻られる島の崎々、廻られる磯部の崎のすべての所に、若草のような妻をお持ちでしょうが、私は女ですから、あなたのほかに男はありません。あなたのほかに夫はありません。綾織の帳がふわふわと揺れる下で、絹の夜具の柔らかな下で、楮(コウゾ)の夜具のさやさやと音を立てる下で、淡雪のような若々しく柔らかな私の胸を、楮の綱のように白い腕をそっと叩き、愛しがり、玉のような手を差し交して枕にして、脚をのびのびと伸ばして、お寝みください。さあ、このお酒をお召し上がりください。)
このように歌って、直ちに杯を交わして誓いを結び、首筋に手を掛け合い、今に至るまで鎮座なさっているのである。
以上の物語を、神語(カミガタリ)という。
(二人が抱き合った像が伝えられていたらしい。現存はしていない。)
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大国主神の系譜
大国主神は、いくつもの名前の持ち主であることはすでに述べたが、娶った女性の数も古事記に記されているだけでも少ない数ではない。
実際の数は、これより遥かに多く子孫の数も相当の数と推定できる。
古事記には、大国主の系譜としては、八島牟遅能神(ヤシマムシヂノカミ)の娘である鳥取神(トトリノカミ)を娶って生んだ鳥鳴海神(トリナルミノカミ)の嫡子を次々と紹介している。
そして、八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)から末裔の最後に挙げられている遠津山岬帯神(トオツヤマサキタラシノカミ)までを、「十七世の神」と言うとしている。
もっとも、記されている神々を数えて行くと十五代にしかならないので、途中が抜けているのか割愛されているのか分からないが、他の説を唱える研究者もいる。
また、最初とされている八島奴美神というのは、大国主神の五代前の祖先で、須佐之男命の子であるが、多くの伝承を伝えながら大国主神を初代としていないのは、天上の神である須佐之男命と一統であることを示すためであると考えられている。
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